2009年4月22日水曜日

狩猟民族と農耕民族 その3

「狩猟民族と農耕民族 その2」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/blog-post_2614.html
「狩猟民族と農耕民族 その1」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/1.html

農耕民族と狩猟民族の考察を行ってきましたが、
そこから見えてきたものがありました。

それは簡潔にいうと
農耕民族→データベースによる思考
狩猟民族→論理による思考
ということです。

これを基に考えると、
アジアが得意なことと欧米が得意なことの違いが
いろいろ説明できてしまいます。

まず、ひとつの例として、
アジア系はすでにあるものをよいものに変えていくのが上手といわれるのに対し、
欧米系は新しいものを生み出すのが上手といわれます。
つまり、アジア系は産業を発展するのが得意で
欧米系は産業を創出するのが得意ということですね。
これにも上の考え方が適用できます。

アジア系は昔から自分より年上の人を敬う文化があった。
これは、農耕において重要な年上の人のもつ経験に敬意を表したもので、
アジア系がいかに経験というものを重要視してきたかがわかる。

東洋的な気象予報も西に雲があるから雨が降るとか、
東洋医学もこの食べ物は胃腸を整えるとか
そういった経験的なものから派生してきた。

つまりデータベースを構築することが重要であるという考えだった。

産業を発展させるために必要なのは
頭で考えて論理的に思考することではなく、
うまくいくと考えた方法に加え経験的になぜかうまくいくというものが必要になってくる。
この蓄積によってよりよいより気の利いた製品が開発されている。

とくに、日本における職人というものは、
加工の精度が人より優れているというのではなく、
その人の中にある経験がしっかりしたデータベースとして構築されているから
精度良く素晴らしいものを生産することができる。

なので、いくら加工精度のいい工作機をつくっても
良いものはデータベースなしには作ることができず、
ハンドメイドを上回るものは作れないのだと思う。

一方、欧米は年上を敬うよりも論理的思考が重要視されてきた。
これは狩猟において獲物をとれたかどうかが重要で
そのためには経験も大事だけど論理的に考えたすばやい対応がもっと大事
ということによるのだと思う。
(昔の王侯貴族たちは、もちろん年上というのを重要視したと思うけど)

そのため、経験よりも論理で話をすることが重要とされ、
アジア系では年上の人に屁理屈と一蹴されそうなことでも、
筋さえ通っていれば屁理屈といわれそうな考えのほうが重要視される。

そのため、物事を論理的に考える訓練がしっかりされ、
うまくいきそうなインスピレーションを見つけると
そこから論理的に道筋をつけ
インスピレーションを現実化することができるのだと思う。

そのために、数式や方程式という誰もが納得せざるを得ない道具を使うことに長けており、
そのための数値化やクリティカルに利くパラメータを見つけるのがうまい。
インスピレーションを現実化する上で周りの人に納得してもらう必要があるため、
人に対するプレゼンテーションもうまくなるのだと思う。

と、ここまでいっておいてなんだが、
アメリカは世界一の農業大国なんだよなぁ。

P.S.
経験的と論理的では
未知のことに対する判断能力は圧倒的に論理的のほうが強い。
ただし、有知のことに対しては経験的な判断能力は
あらゆるパラメータを網羅しているため論理的よりも強い。

だから、新しいものを論理的に導き出すのは
狩猟民族のほうが得意なんだろうな。

P.S.2
結果第一主義というのも、
狩で獲物をとれたかどうかが重要であって、
今までうまかったかどうかということは
そこまで問題視されないために生まれた考え方だろう。
なにせ、生死がかかっていたのだから。

1 件のコメント:

ittadao さんのコメント...

あと、
スピードは論理。
精度は経験。

というのを書き忘れました。