アジアは儒教の思想が強いので、
日本同様中国も年功序列と思っていたのですが、
最近の中国はそうでもないらしい。
数年前から大手企業の保護をやめ
大手企業が経営破たんすることを容認した結果、
中小企業を若い世代が作り上げ、
彼らが今の中国を支えているかららしい。
実はこれが中国の活力ある経済成長につながっているというのだ。
というのも、若い世代の経営は年功序列のような安定を求めたものではなく、
能力が認められるやりがいを求めた経営のようで
一年目の初任給はそれほどなくても、2年目から給料5倍というようなことも良く見かけるとのこと。
確かに、年功序列な会社が少ない状況ならこういう制度にのっとっていくありません。
若者はこういうある意味ばくち的要素があるほうが頑張るし
やればやった分だけの見返りが得られれば、モチベーションもあがるというわけです。
(もちろん、確実に格差は開くわけですが、それは能力というよりは努力の部分のような気もします。)
これに対して、日本は年功序列な大企業が幅を利かせており、
優秀な若者のほとんどは大企業に入ります。
その大企業では年に少しずつ成果に関係なく給料が増えていくようです。
これだと、一生懸命やっても手を抜いてもリターンは変わりません。
そして、大企業は潤沢な資金でチャレンジングなことをすることができるはずなのに
最近は経営の効率化やコスト削減ということでハイリスクなことはしなくなりました。
こういう状況だと夢や情熱を生み出す仕事はなくなり現実的な仕事ばかりになります。
こうなるとやりたいという目標を若者は失ってしまいます。
若者はモチベーションを失ってしまいます。
問題は若者にとどまりません。
そもそも大企業というのは企業の成長曲線に当てはめると
創業期、成長期、成熟期、衰退期でいうところの
成熟期-衰退期にあると考えても差し支えないと思います。
そんな状況にある大企業がチャレンジングなことをしないとなると
大企業は衰退の道を進むしかないわけです。
さらに、このような状況で中国は人材を欲しており、
今の不況下の日本から日本を支えてきた老獪な経営者や技術者が
中国に吸収されていっているようなんですね。
産業の発展においてこういった培われてきたものは不可欠なのに
いろいろな日本が培ってきたものは中国が継承している。
(誰も継承しないよりはずっといいですが・・・)
若者の活力低下 → 将来における期待
大企業の現状 → 現状
技術の喪失 → 過去における蓄積
日本は大丈夫なのか?と思ってしまう。
もちろん、どれも今から対応して遅くないと思うけど、
今の日本に必要なのは若者の活気だと思う。
P.S.
もちろん極端な能力主義がいいといっているわけではありません。
ただ、最近の日本は全体的に極端に安定を求めているのが問題ではないかと思います。
P.S.2
ただでも若者人口へっているなら、そんな若者たちが夢見て生きられる世の中を作りたいですね。
2009年4月12日日曜日
正論よりもモチベーションをあげることへの意識
うちの教授は学生のモチベーションをあげることがとても上手だ。
ちょっとしたことにもすごい、素晴らしい、素敵だって感じでほめてあげる。
それを仮に学生がわかっていたとしても、かなり心地よい。
僕もそういう反応をもらって、日本での不備を突く議論との違いに
思わず良い気分になったことを覚えている。
これは、もちろんどのような環境にいたかということが重要だと思うけど、
僕はどうも議論するとき、相手の意見の不備を突くということを自然とするようになった。
これはおかしいんじゃないかとか
これはどうなっているんだとか
わからない部分だけを指摘するようになった。
こういった指摘は研究者として必要な部分かもしれないが、
指摘される側は否定されている気分になるので
やる気がそがれてしまう。
何をするにもやる気というものは
最も大事なことなのにその部分がなくなってしまうのは
かなり大きな痛手ではないだろうか。
それよりも、相手をまずモチベートしてあげて
それから相手の主張でわからないことを理解しようとする姿勢で
指摘していったほうがずいぶん与える感覚が変わってくる。
この辺は今の研究室が人材不足であるためにモチベートの方法はしっかり考えているのだと思う。
相手をモチベートするためには、もう少しやり方を変えた方がいいなと思った。
ちょっとしたことにもすごい、素晴らしい、素敵だって感じでほめてあげる。
それを仮に学生がわかっていたとしても、かなり心地よい。
僕もそういう反応をもらって、日本での不備を突く議論との違いに
思わず良い気分になったことを覚えている。
これは、もちろんどのような環境にいたかということが重要だと思うけど、
僕はどうも議論するとき、相手の意見の不備を突くということを自然とするようになった。
これはおかしいんじゃないかとか
これはどうなっているんだとか
わからない部分だけを指摘するようになった。
こういった指摘は研究者として必要な部分かもしれないが、
指摘される側は否定されている気分になるので
やる気がそがれてしまう。
何をするにもやる気というものは
最も大事なことなのにその部分がなくなってしまうのは
かなり大きな痛手ではないだろうか。
それよりも、相手をまずモチベートしてあげて
それから相手の主張でわからないことを理解しようとする姿勢で
指摘していったほうがずいぶん与える感覚が変わってくる。
この辺は今の研究室が人材不足であるためにモチベートの方法はしっかり考えているのだと思う。
相手をモチベートするためには、もう少しやり方を変えた方がいいなと思った。
実験は仮説の検証だけ?
日本ではとりあえず実験してみて様子を見るという文化が根強くある。
そのため、実験をしていない人は研究をしていないというように
辺に曲がって捉えられることもある。
たしかに、実験をする上で、装置と触れ合う時間は重要である。
装置とよく触れ合うことで装置と友達になることができる・・・
というわけではなく、
装置の癖や特徴を無意識につかむことができるようになり、
装置の性能を引き出すことができるようになる。
それに、実際に手を動かすことで頭だけで考えるよりも
ずっと具体的に物事をイメージすることができるようになり、
問題がクリアになる。
そして、実験をしているからこそ見えてくる
新しい研究というものもある。
しかし、アメリカ的な実験は
頭の中で考えた仮説を検証するためにあるのかなと思う。
もちろん仮説を立てることは大事だ。
仮説が大きな指針に成ることは間違いない。
しかし、仮説にこだわっていては
新しい研究の種を見逃すことになる。
これは歴史的にくりかえされていることで、
ある人が周りの人が見過ごしてきたことで論文を書き
認められたという例は後を絶たない。
仮説から外れて実験をするというのは
ずいぶん時間がかかることだけど、
ものすごく大切なことだと思う。
少なくとも、新しい道を切り開くことになる。
こういうことをするためには実験装置を長期間触っている必要があり、
アメリカの共用装置では難しい面もあるなと思った。
もちろんこうした実験は時間もかかるし
時間をかけた割には業績としては小さく扱われることもあると思うし、
最初は得体の知れないことだから解釈にも時間がかかる。
でも、誰かがしなければならない重要なことであるケースが多いと思う。
論文主体の判断基準はそうした地味だけど大事な研究の芽を
間違いなくつんでしまっている。
そのため、実験をしていない人は研究をしていないというように
辺に曲がって捉えられることもある。
たしかに、実験をする上で、装置と触れ合う時間は重要である。
装置とよく触れ合うことで装置と友達になることができる・・・
というわけではなく、
装置の癖や特徴を無意識につかむことができるようになり、
装置の性能を引き出すことができるようになる。
それに、実際に手を動かすことで頭だけで考えるよりも
ずっと具体的に物事をイメージすることができるようになり、
問題がクリアになる。
そして、実験をしているからこそ見えてくる
新しい研究というものもある。
しかし、アメリカ的な実験は
頭の中で考えた仮説を検証するためにあるのかなと思う。
もちろん仮説を立てることは大事だ。
仮説が大きな指針に成ることは間違いない。
しかし、仮説にこだわっていては
新しい研究の種を見逃すことになる。
これは歴史的にくりかえされていることで、
ある人が周りの人が見過ごしてきたことで論文を書き
認められたという例は後を絶たない。
仮説から外れて実験をするというのは
ずいぶん時間がかかることだけど、
ものすごく大切なことだと思う。
少なくとも、新しい道を切り開くことになる。
こういうことをするためには実験装置を長期間触っている必要があり、
アメリカの共用装置では難しい面もあるなと思った。
もちろんこうした実験は時間もかかるし
時間をかけた割には業績としては小さく扱われることもあると思うし、
最初は得体の知れないことだから解釈にも時間がかかる。
でも、誰かがしなければならない重要なことであるケースが多いと思う。
論文主体の判断基準はそうした地味だけど大事な研究の芽を
間違いなくつんでしまっている。
日本人は操作されやすい
少しの間、日本に一時帰国していたときのことを書きたいと思う。
というのも、一時帰国することでアメリカと日本の比較を少しすることができ
そこから、ちょっとした考えが生まれたからだ。
日本人の合言葉的標語に、
勤勉は美徳だというものがある。
この言葉は小さいときから今まで
幾度となく聴いてきた言葉で、
多少なりとも日本人の美徳として考えてきた面があった。
そして、それはある意味正しいと思うし、
ある意味よくないなと思った。
この標語のおかげで日本人は仕事に人生をつぎ込み
高度経済成長期を生み出すことができたわけであるが、
今この標語にしがみついている日本人にひずみが生じてきている。
日本の経済成長以降
欧米各国から日本は新しい価値を生み出せない
物まねの国と揶揄されている。
この言葉に対して、
どうにかしてクリエイティブな人材を作り出そうと
躍起になってどうすればクリエイティブな人材を作れるかを調査し始めた。
そして、欧米にあって日本にないものを沢山沢山取り入れ
その取り入れたものを持ち前の勤勉さで取り込んだ。
その結果、クリエイティブな人材は育ったのであろうか?
断言はできないけど、おそらくクリエイティブな人材は育っていない。
足りないものを積極的に取り入れたにもかかわらずだ。
この点について日本人は大きな間違いをしている。
それはクリエイティブな人材には勤勉が必要であるという点だ。
勤勉をこよなく愛するがゆえに、過剰に労働時間を増やしている。
その結果、物事を考える時間を圧迫してしまい、
誰かが言ったことを鵜呑みにしたり、目先のことに何も考えずに反応してしまう。
これでは、簡単に日本人は操られてしまうではないか。
クリエイティブ云々よりも、もっと大きな問題だと思う。
さて、ここでいう物事を考える時間というのは
そのことを常に頭に置いた状態でほかの事をするということである。
この説明がわかりやすいかはわからないが、
僕の経験上、講義や講演を聴きながら関係ないことを考えているときほど
クリエイティブな考えが生まれる。
おそらく、講義や講演から刺激をもらいながら別のことを考えることで、
別の視点から考えたり、別のことと融合させたりと
ひとつのことに集中していては見つけられない考えを探り当てることができるのだと思う。
ここではクリエイティブと書いたが、考える時間を持てば
自分が触れる情報が正しいかどうかということを判断する余裕も生まれてくることになる。
その結果、物事を鵜呑みにせずその正否を考えるようになると思う。
この時間を持たずに、仕事にのめりこめば
その仕事に関して極端を極めてしまうんだとおもう。
もちろん、その仕事から派生するクリエイティブなことに気づける可能性は低くなる。
逆に労働時間の割合を減らして考える時間を持てば、
新しいクリエイティブな問題を見つけ出すことにつながるんだと思う。
その点、アメリカにいると西欧の人はやはり自分の中で
仕事をするならここまでというのがしっかりと線引きされている。
もちろん、ある程度の仕事の時間を確保することは当然だけど、
そこに別のエッセンスを加えるために
意識的か無意識的に別のことをする時間を確保している。
日本が成長するには不可欠であった美徳が
さらなる日本の成長にはマイナスであるという皮肉だと思う。
こういうのも政治的策略なのかなと思ったり、思わなかったり。
P.S.
なんとなくどこかをモデルにしてそれを取り入れて発展した国というのは
こういう問題にいつかはぶつかるのかなと思う。
つまり、大きく発展したアジア諸国や中国もいつかは似たような問題にぶつかるのかもしれないと思う。
というのも、一時帰国することでアメリカと日本の比較を少しすることができ
そこから、ちょっとした考えが生まれたからだ。
日本人の合言葉的標語に、
勤勉は美徳だというものがある。
この言葉は小さいときから今まで
幾度となく聴いてきた言葉で、
多少なりとも日本人の美徳として考えてきた面があった。
そして、それはある意味正しいと思うし、
ある意味よくないなと思った。
この標語のおかげで日本人は仕事に人生をつぎ込み
高度経済成長期を生み出すことができたわけであるが、
今この標語にしがみついている日本人にひずみが生じてきている。
日本の経済成長以降
欧米各国から日本は新しい価値を生み出せない
物まねの国と揶揄されている。
この言葉に対して、
どうにかしてクリエイティブな人材を作り出そうと
躍起になってどうすればクリエイティブな人材を作れるかを調査し始めた。
そして、欧米にあって日本にないものを沢山沢山取り入れ
その取り入れたものを持ち前の勤勉さで取り込んだ。
その結果、クリエイティブな人材は育ったのであろうか?
断言はできないけど、おそらくクリエイティブな人材は育っていない。
足りないものを積極的に取り入れたにもかかわらずだ。
この点について日本人は大きな間違いをしている。
それはクリエイティブな人材には勤勉が必要であるという点だ。
勤勉をこよなく愛するがゆえに、過剰に労働時間を増やしている。
その結果、物事を考える時間を圧迫してしまい、
誰かが言ったことを鵜呑みにしたり、目先のことに何も考えずに反応してしまう。
これでは、簡単に日本人は操られてしまうではないか。
クリエイティブ云々よりも、もっと大きな問題だと思う。
さて、ここでいう物事を考える時間というのは
そのことを常に頭に置いた状態でほかの事をするということである。
この説明がわかりやすいかはわからないが、
僕の経験上、講義や講演を聴きながら関係ないことを考えているときほど
クリエイティブな考えが生まれる。
おそらく、講義や講演から刺激をもらいながら別のことを考えることで、
別の視点から考えたり、別のことと融合させたりと
ひとつのことに集中していては見つけられない考えを探り当てることができるのだと思う。
ここではクリエイティブと書いたが、考える時間を持てば
自分が触れる情報が正しいかどうかということを判断する余裕も生まれてくることになる。
その結果、物事を鵜呑みにせずその正否を考えるようになると思う。
この時間を持たずに、仕事にのめりこめば
その仕事に関して極端を極めてしまうんだとおもう。
もちろん、その仕事から派生するクリエイティブなことに気づける可能性は低くなる。
逆に労働時間の割合を減らして考える時間を持てば、
新しいクリエイティブな問題を見つけ出すことにつながるんだと思う。
その点、アメリカにいると西欧の人はやはり自分の中で
仕事をするならここまでというのがしっかりと線引きされている。
もちろん、ある程度の仕事の時間を確保することは当然だけど、
そこに別のエッセンスを加えるために
意識的か無意識的に別のことをする時間を確保している。
日本が成長するには不可欠であった美徳が
さらなる日本の成長にはマイナスであるという皮肉だと思う。
こういうのも政治的策略なのかなと思ったり、思わなかったり。
P.S.
なんとなくどこかをモデルにしてそれを取り入れて発展した国というのは
こういう問題にいつかはぶつかるのかなと思う。
つまり、大きく発展したアジア諸国や中国もいつかは似たような問題にぶつかるのかもしれないと思う。
アメリカ復帰
ずいぶん長い間更新をサボっていました。
実は一時帰国してLAに帰ってきたわけですが、
嫁さんとラスベガス、ロサンゼルスで1週間ほどすごしていました。
久し振りに二人の時間を持つことができて
本当に楽しかったです。
そして、今日のお昼に嫁さんを空港で見送ってからというもの
もっと一緒にいたいという気持ちがものすごく大きくなってしまった。
この気持ちは一時帰国前まではずいぶん抑えられるようになっていたのに
いったん嫁さんと一緒の時間をすごしてしまうと
また振り出しに戻ってしまった。
そのため、ホームシック的な気分が強まっている。
やることは沢山あるのに、どこかにぽかんと開いた穴がある。
やることが沢山あるからこの穴から目をそむけることは簡単にできる。
おそらく、しばらくするとこの穴から目を背けるために
やらなければならないことにかこつけて蓋をしていくことになるんだと思う。
こうやって、僕は大事な感情から目を背けるんだろうな。
少なくともこの週末は、
この気持ちをしっかり味わいたい。
実は一時帰国してLAに帰ってきたわけですが、
嫁さんとラスベガス、ロサンゼルスで1週間ほどすごしていました。
久し振りに二人の時間を持つことができて
本当に楽しかったです。
そして、今日のお昼に嫁さんを空港で見送ってからというもの
もっと一緒にいたいという気持ちがものすごく大きくなってしまった。
この気持ちは一時帰国前まではずいぶん抑えられるようになっていたのに
いったん嫁さんと一緒の時間をすごしてしまうと
また振り出しに戻ってしまった。
そのため、ホームシック的な気分が強まっている。
やることは沢山あるのに、どこかにぽかんと開いた穴がある。
やることが沢山あるからこの穴から目をそむけることは簡単にできる。
おそらく、しばらくするとこの穴から目を背けるために
やらなければならないことにかこつけて蓋をしていくことになるんだと思う。
こうやって、僕は大事な感情から目を背けるんだろうな。
少なくともこの週末は、
この気持ちをしっかり味わいたい。
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