アメリカでの日常生活には
あまりお金がかからないということを言う人が
ちらほらといた。
最初はお金のない人がいるからそういう人が生活できるように
生活必需品は安いのだろうと理解していた。
でも、お金のない人のために安く設定してあるというわけではない気がしてきた。
アメリカは不法滞在者で肉体労働をする人から超金持ちまで
いろんな経済感覚の人がいる国である。
そのため、何か物を生産するに当たっては安い人件費で雇える人を使うことで
製品を生産するコストを安く押さえることができる。
これが生活必需品が安い理由ではないだろうか。
では、このように経済的格差があることで不満が多いかというと
そうでもないらしい。
日本のように全員が全員高い教育水準を誇っていないため
それまでにこんなに勉強したのにどうして肉体労働をしないといけないんだ
という風な考えに至らないためらしい。
だから、肉体労働をしている人はそれに合わせた生活
研究をしている人はそれに合わせた生活
お金持ちはそれに合わせた生活にそれなりに満足しているとのこと。
もし、それに不満があればそこから抜け出すために行動をすればいいという感じなのだろう。
全員が高い教育水準を持っていれば
お互いにまともな判断ができたり、きちんと話し合いができたりと、良い点は沢山あると思う。
でも、みんなが高い教育水準を持つからこそ生まれる不満は確かに問題なのかもしれない。
この不満のために、活き活きと生活していない人が多いのかもしれない。
これをなくすためには、結局高い教育水準を持っている人たちが
自分たちの気持ちを満足させるための人たちが必要になるのかもしれない。
(江戸時代の階級制度じゃないけどね・・・
何か良い解決方法はあるんだろうか。)
2009年7月4日土曜日
アメリカは50の国の集まり
以前の少し書いたけど、
アメリカをアメリカと捉えて他の国と比較するのは
ちょっと無理がある気がする。
というのはよくいわれることだけど、
本当にそのとおりなんだと思う。
GDPを見てるとアメリカ50州の各州が
他国と比較して上位に食い込んできている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Comparison_between_U.S._states_and_countries_nominal_GDP
そして、国土も人口も自然も
他国と比較してもその馬鹿でかさは目を見張るものがある。
これだけのものを一国がもっているとなると
ある意味、何でもやりたいことをやりたいようにできる。
法律による規制も50の州がそれぞれの法律を持っているために
どこかの州に行けば問題なく法律の網をかいくぐったこともできてしまいます。
法律も自分で選べる、そして規制も基本的にゆるい、
場所も環境も人材もある。
後はお金さえあれば、なんでもできる。
規制が入るとしたら権力者やお金持ちの都合の良い環境づくりのためくらい。
だから、いろんな人が前だけを向いてやりたいことをやって
自分の能力を開花させるのだと思います。
という状況を考えると、
国同士の比較を行うにあたって、
アメリカというと50の国の集まりと他国の比較を行っているといってもおかしくないです。
そりゃ、どの分野においても普通は比較できないはずです。
なにせ、50の国がいろんな分野において世界をリードしようとしているわけですから。
そうすると、アメリカはすごいという評価が出てきます。
でもいったん、カリフォルニア州とかイリノイ州とか
そういう分解を行ってしまえば別に過剰な評価をし過ぎなくていいのかもしれない。
で、そんなアメリカ経済を支えているカリフォルニア州(GDPアメリカ1位、世界7位)ですが、
経営破たんしています。
でも、そこまで住民は悲壮感がありません。
何がそう楽天的にさせるのでしょうか。
カリフォルニアがだめになれば他に行けばいいやという感じなのでしょうか?
その辺はまだまだ良くわかりません。
これは実際にそこで給料をもらって生活をしてはじめてわかるのかもしれませんね。
アメリカをアメリカと捉えて他の国と比較するのは
ちょっと無理がある気がする。
というのはよくいわれることだけど、
本当にそのとおりなんだと思う。
GDPを見てるとアメリカ50州の各州が
他国と比較して上位に食い込んできている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Comparison_between_U.S._states_and_countries_nominal_GDP
そして、国土も人口も自然も
他国と比較してもその馬鹿でかさは目を見張るものがある。
これだけのものを一国がもっているとなると
ある意味、何でもやりたいことをやりたいようにできる。
法律による規制も50の州がそれぞれの法律を持っているために
どこかの州に行けば問題なく法律の網をかいくぐったこともできてしまいます。
法律も自分で選べる、そして規制も基本的にゆるい、
場所も環境も人材もある。
後はお金さえあれば、なんでもできる。
規制が入るとしたら権力者やお金持ちの都合の良い環境づくりのためくらい。
だから、いろんな人が前だけを向いてやりたいことをやって
自分の能力を開花させるのだと思います。
という状況を考えると、
国同士の比較を行うにあたって、
アメリカというと50の国の集まりと他国の比較を行っているといってもおかしくないです。
そりゃ、どの分野においても普通は比較できないはずです。
なにせ、50の国がいろんな分野において世界をリードしようとしているわけですから。
そうすると、アメリカはすごいという評価が出てきます。
でもいったん、カリフォルニア州とかイリノイ州とか
そういう分解を行ってしまえば別に過剰な評価をし過ぎなくていいのかもしれない。
で、そんなアメリカ経済を支えているカリフォルニア州(GDPアメリカ1位、世界7位)ですが、
経営破たんしています。
でも、そこまで住民は悲壮感がありません。
何がそう楽天的にさせるのでしょうか。
カリフォルニアがだめになれば他に行けばいいやという感じなのでしょうか?
その辺はまだまだ良くわかりません。
これは実際にそこで給料をもらって生活をしてはじめてわかるのかもしれませんね。
アメリカ人のプレゼン能力
アメリカ人はプレゼン能力が高いと
日本から来た人は口をそろえていいます。
僕もそういうことを口にしている一人ですが、
その理由が良くわかりました。
どうしてプレゼン能力が高いのかと人に聞いてみると、
アメリカに来た日本人からは
アメリカでは教育の一環でプレゼンをする機会を沢山用意してある
という答えが返ってきます。
一方、アメリカであった日本人研究者に聞くと
アメリカでは自分から教授にコンタクトを取らないと相手にされない
という答えが返ってきます。
今までこういう答えを聞いても
「ふーん、そんなもんかなぁ。それなら僕の研究室もそうだけどなぁ」
と思っていたのですが
ようやくアメリカであった日本人研究者の言葉が理解できました。
アメリカ人はプレゼンをせざるを得ない状況にいるのです。
例えば、日本の場合研究室に配属されると
先生から指導を受けたり先輩に助けてもらったりしながら
研究を進めていきます。
自分が何もしなかったとすると、
どうして何もしないんだ、卒業させないぞといいつつも
しっかり世話を焼いてくれます。
一方、アメリカの場合研究室に配属されると
自分から動かなくてはなりません。
やりたい研究をするために教授にミーティングをお願いしたり、
やりたい実験をするためにできる人を見つけてコンタクトを取ったり、
英語を勉強するための授業を探すためにいろんな人に話したり、
自分が動けば回りは助けてくれますが、
何もやらなければ何もしてくれません。
そのため、自分がやりたいことをするために
プレゼンをするというのは必須なことなのです。
そして、相手を巻き込むことになると
相手がポジティブになるくらいのプレゼンをしないといけないわけです。
これを考えると、
日本はものすごく恵まれた環境です。
言わなくても察する文化やお互いの間に流れる常識というものがあります。
だから、アピールをしなくても快適に過ごすことができます。
おそらく、顧客満足(CS)を追求した結果生まれたものでしょうが、
最近のホテルやレストランのサービスなんてものすごいものを感じます。
でもこういうのって、
世界標準から言うと行き過ぎたもので
日本人が世界に出たときアピールが下手だといわれる原因の一つを
作っているのかもしれません。
(もちろんこういう素晴らしいサービスを否定しているのではないです)
最高の環境を作れば、
人は育つと考えることは多いですが、
一概にそうとも言えないなと思います。
P.S.
O大からT大に移ったときの設備のすごさに感動した一方で
自分で手を動かすことの少ないことに
なぜかマイナスも感じた感覚がクリアになった気がしました。
この感覚は便利になることで今まで考えていたことと違うことを考えるようになるということですね。
実験のための設備を自分で組み立てることは、
一から勉強するのにいいですし、そこから見つかる発見も多いです。
でも、信頼性の高い実験やより先端の研究結果を出すためには最新の設備が大事になります。
歩いて異国をめぐるのと車で異国をめぐるのと同じような感じで
見える景色が違うのでしょう。
日本から来た人は口をそろえていいます。
僕もそういうことを口にしている一人ですが、
その理由が良くわかりました。
どうしてプレゼン能力が高いのかと人に聞いてみると、
アメリカに来た日本人からは
アメリカでは教育の一環でプレゼンをする機会を沢山用意してある
という答えが返ってきます。
一方、アメリカであった日本人研究者に聞くと
アメリカでは自分から教授にコンタクトを取らないと相手にされない
という答えが返ってきます。
今までこういう答えを聞いても
「ふーん、そんなもんかなぁ。それなら僕の研究室もそうだけどなぁ」
と思っていたのですが
ようやくアメリカであった日本人研究者の言葉が理解できました。
アメリカ人はプレゼンをせざるを得ない状況にいるのです。
例えば、日本の場合研究室に配属されると
先生から指導を受けたり先輩に助けてもらったりしながら
研究を進めていきます。
自分が何もしなかったとすると、
どうして何もしないんだ、卒業させないぞといいつつも
しっかり世話を焼いてくれます。
一方、アメリカの場合研究室に配属されると
自分から動かなくてはなりません。
やりたい研究をするために教授にミーティングをお願いしたり、
やりたい実験をするためにできる人を見つけてコンタクトを取ったり、
英語を勉強するための授業を探すためにいろんな人に話したり、
自分が動けば回りは助けてくれますが、
何もやらなければ何もしてくれません。
そのため、自分がやりたいことをするために
プレゼンをするというのは必須なことなのです。
そして、相手を巻き込むことになると
相手がポジティブになるくらいのプレゼンをしないといけないわけです。
これを考えると、
日本はものすごく恵まれた環境です。
言わなくても察する文化やお互いの間に流れる常識というものがあります。
だから、アピールをしなくても快適に過ごすことができます。
おそらく、顧客満足(CS)を追求した結果生まれたものでしょうが、
最近のホテルやレストランのサービスなんてものすごいものを感じます。
でもこういうのって、
世界標準から言うと行き過ぎたもので
日本人が世界に出たときアピールが下手だといわれる原因の一つを
作っているのかもしれません。
(もちろんこういう素晴らしいサービスを否定しているのではないです)
最高の環境を作れば、
人は育つと考えることは多いですが、
一概にそうとも言えないなと思います。
P.S.
O大からT大に移ったときの設備のすごさに感動した一方で
自分で手を動かすことの少ないことに
なぜかマイナスも感じた感覚がクリアになった気がしました。
この感覚は便利になることで今まで考えていたことと違うことを考えるようになるということですね。
実験のための設備を自分で組み立てることは、
一から勉強するのにいいですし、そこから見つかる発見も多いです。
でも、信頼性の高い実験やより先端の研究結果を出すためには最新の設備が大事になります。
歩いて異国をめぐるのと車で異国をめぐるのと同じような感じで
見える景色が違うのでしょう。
2009年7月3日金曜日
アメリカという国
アメリカに少し住んで
アメリカを少し旅して思うことがある。
それは、アメリカにはいろんな顔があるということである。
いろんな国からいろんな理由で移り住んできた人がいる。
そこにいる人の数だけ文化がある。
50州という50の国に匹敵するほどの面積を持つために、
世界中に散らばった自然を一国に集めた感じがする。
田舎も都会も存在して、
教育を受けた人も受けていない人もいる。
まったく違うものが、同じ国に一まとめに存在している。
そんな国のことを考えると
この国にいる人はいろんな種類のいろんな大きさの刺激を受けていることになる。
その刺激には死にいたる争いもあれば、気づかないような小さな違和感もある。
そりゃ、いろんな考えが生まれるわけです。
そして、その中には世界を変える素晴らしい考えも含まれるわけです。
その代わり、世界を破壊する考えも含まれるわけです。
そしてそういった考えからいろいろなことが生まれてきます。
良いことも悪いことも・・・。
でも、アメリカは外に向けて悪いことは宣伝しません。
もちろん、良いことを宣伝するわけです。
その結果、アメリカはすごい国だという錯覚を
いろんな国に植えつけることができるわけです。
ただ、こういう国に住む人は
刺激を発信できなければ存在に気づかれない可能性があります。
だから、みんな自己主張をする(せざるを得ない)のでしょうし、
周りと違った存在でいることができるのだと思います。
P.S.
アメリカではどんなに個性的な人がいても
あー、そういう人いるねって感じなのかなと思います。
あくまで、One of themなのでしょう。
P.S.2
アメリカにはあまりにも多くの条件がありすぎるので
期してか期せずにかはわかりませんが
アメリカ自体がひとつの大きな実験施設に見えてくるのは僕だけでしょうか。
そうすると、良いことも悪いことも実験のひとつと考えている人がいてもおかしくないと思います。
そして、そう考えられる人は
アメリカという国の中やその国を使っていろんな実験をしているのかもしれませんね。
アメリカを少し旅して思うことがある。
それは、アメリカにはいろんな顔があるということである。
いろんな国からいろんな理由で移り住んできた人がいる。
そこにいる人の数だけ文化がある。
50州という50の国に匹敵するほどの面積を持つために、
世界中に散らばった自然を一国に集めた感じがする。
田舎も都会も存在して、
教育を受けた人も受けていない人もいる。
まったく違うものが、同じ国に一まとめに存在している。
そんな国のことを考えると
この国にいる人はいろんな種類のいろんな大きさの刺激を受けていることになる。
その刺激には死にいたる争いもあれば、気づかないような小さな違和感もある。
そりゃ、いろんな考えが生まれるわけです。
そして、その中には世界を変える素晴らしい考えも含まれるわけです。
その代わり、世界を破壊する考えも含まれるわけです。
そしてそういった考えからいろいろなことが生まれてきます。
良いことも悪いことも・・・。
でも、アメリカは外に向けて悪いことは宣伝しません。
もちろん、良いことを宣伝するわけです。
その結果、アメリカはすごい国だという錯覚を
いろんな国に植えつけることができるわけです。
ただ、こういう国に住む人は
刺激を発信できなければ存在に気づかれない可能性があります。
だから、みんな自己主張をする(せざるを得ない)のでしょうし、
周りと違った存在でいることができるのだと思います。
P.S.
アメリカではどんなに個性的な人がいても
あー、そういう人いるねって感じなのかなと思います。
あくまで、One of themなのでしょう。
P.S.2
アメリカにはあまりにも多くの条件がありすぎるので
期してか期せずにかはわかりませんが
アメリカ自体がひとつの大きな実験施設に見えてくるのは僕だけでしょうか。
そうすると、良いことも悪いことも実験のひとつと考えている人がいてもおかしくないと思います。
そして、そう考えられる人は
アメリカという国の中やその国を使っていろんな実験をしているのかもしれませんね。
人がものを考えるためには
人間がものを考えなくするためには
二つの方法があると思う。
ひとつはすべての感覚を取り除いてしまうこと
もうひとつはすべての感覚に刺激を与えすぎること。
感覚を取り除いてしまうということは
何も感じなくなるということである。
仮にこういう状況を考えてみよう。
真っ暗な空間で、
音もなく静かで、
何も触れるものがなく、
味を感じることも泣く
匂いもない。
このような状況だと人は何を考えるのだろう。
今の状況からそういう状況に投げ込まれれば
最初は何とか抜け出そうとするだろうが
そのうち何もしなくなるのではないだろうか。
そして、生まれた直後からそのようなところに置かれれば
何も考えられないのではないだろうか。
考えられるとすれば、
それは自分という存在についてだけだと思う。
つまり、人の思考は環境に大いに左右されるということだと思う。
人は環境に順応、環境を良くするために頭を使うのだろう。
ということは、人は遺伝でその人の能力が決まるというよりは、
環境によって与えられた刺激でその人の能力が決まってくる気がする。
もちろん、与えられた刺激に対してどう成長するかは遺伝が大きな要因になるだろうけど。
さてもうひとつの、感覚に刺激を与えすぎるというのはどうだろう。
これは、感覚に常に刺激を与えすぎるため
刺激がある状態が普通になってしまう。
なので、その刺激に対してそれなりに大きな刺激がこないと
感覚は反応することができなくなり
何も刺激がないのと同じになってしまう。
これは、コンサートに行ったときのことを考えればよくわかる。
ライブ会場に行って大きな音をしばらくの間聞いてみよう。
すると、最初は爆音に聞こえた音も徐々に普通になるだろう。
そして、その中で友達と会話しようとすると、
小さい声ではまったく話ができない。
大きな声で話したとしてもかろうじて会話ができる程度だろう。
これと同じで最初は大きな刺激があると、
刺激を大きな刺激と捕らえるため、
人は頭をフルに使って考えるのだと思うけど、
それがいったん普通になってしまうと
同じ刺激でも考えなくなってしまう。
おそらく、人がより大きな刺激を求めるようになるのは
こういう理由からだと思う。
こういうことを考えると、
人は普段小さな刺激を受けていて
時々大きな刺激を受ける
というのが考えるためにはいいのだろうなと思う。
二つの方法があると思う。
ひとつはすべての感覚を取り除いてしまうこと
もうひとつはすべての感覚に刺激を与えすぎること。
感覚を取り除いてしまうということは
何も感じなくなるということである。
仮にこういう状況を考えてみよう。
真っ暗な空間で、
音もなく静かで、
何も触れるものがなく、
味を感じることも泣く
匂いもない。
このような状況だと人は何を考えるのだろう。
今の状況からそういう状況に投げ込まれれば
最初は何とか抜け出そうとするだろうが
そのうち何もしなくなるのではないだろうか。
そして、生まれた直後からそのようなところに置かれれば
何も考えられないのではないだろうか。
考えられるとすれば、
それは自分という存在についてだけだと思う。
つまり、人の思考は環境に大いに左右されるということだと思う。
人は環境に順応、環境を良くするために頭を使うのだろう。
ということは、人は遺伝でその人の能力が決まるというよりは、
環境によって与えられた刺激でその人の能力が決まってくる気がする。
もちろん、与えられた刺激に対してどう成長するかは遺伝が大きな要因になるだろうけど。
さてもうひとつの、感覚に刺激を与えすぎるというのはどうだろう。
これは、感覚に常に刺激を与えすぎるため
刺激がある状態が普通になってしまう。
なので、その刺激に対してそれなりに大きな刺激がこないと
感覚は反応することができなくなり
何も刺激がないのと同じになってしまう。
これは、コンサートに行ったときのことを考えればよくわかる。
ライブ会場に行って大きな音をしばらくの間聞いてみよう。
すると、最初は爆音に聞こえた音も徐々に普通になるだろう。
そして、その中で友達と会話しようとすると、
小さい声ではまったく話ができない。
大きな声で話したとしてもかろうじて会話ができる程度だろう。
これと同じで最初は大きな刺激があると、
刺激を大きな刺激と捕らえるため、
人は頭をフルに使って考えるのだと思うけど、
それがいったん普通になってしまうと
同じ刺激でも考えなくなってしまう。
おそらく、人がより大きな刺激を求めるようになるのは
こういう理由からだと思う。
こういうことを考えると、
人は普段小さな刺激を受けていて
時々大きな刺激を受ける
というのが考えるためにはいいのだろうなと思う。
アメリカにおける鉄道再開発
今日、友達と話してて知った事だけど、
今アメリカを東西に横切る大陸横断鉄道を建設するという計画が
立ち上がっているらしい。
新幹線みたいな超特急で横断するらしい。
(Webを見る限りじゃ、大陸横断ではなく、主要都市をつなぐということらしい。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090417/amr0904170049001-n1.htm)
大陸横断鉄道というと
以前はものすごく騒がれたものだけど、
現在は見る影もない。
この大陸横断鉄道が使われなくなった理由は
アメリカの自動車会社(GM, Ford, クライスラー)が
自らの利益を上げるために
大陸横断鉄道を買い取ったためらしい。
さすがアメリカだなぁ。
やることがえぐいです。
たぶん、バックには石油資本がついていたのでしょうけど。
そして今、どうして鉄道が今なぜ必要になったのでしょうか?
単に自動車会社の力が弱まったと理由なのでしょうか?
今アメリカを東西に横切る大陸横断鉄道を建設するという計画が
立ち上がっているらしい。
新幹線みたいな超特急で横断するらしい。
(Webを見る限りじゃ、大陸横断ではなく、主要都市をつなぐということらしい。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090417/amr0904170049001-n1.htm)
大陸横断鉄道というと
以前はものすごく騒がれたものだけど、
現在は見る影もない。
この大陸横断鉄道が使われなくなった理由は
アメリカの自動車会社(GM, Ford, クライスラー)が
自らの利益を上げるために
大陸横断鉄道を買い取ったためらしい。
さすがアメリカだなぁ。
やることがえぐいです。
たぶん、バックには石油資本がついていたのでしょうけど。
そして今、どうして鉄道が今なぜ必要になったのでしょうか?
単に自動車会社の力が弱まったと理由なのでしょうか?
2009年7月1日水曜日
一昨日Googleに行ってきたので、
とりあえずイベントごとは一段落で
後は研究に集中して研究も一段落させてしまおうと思っています。
と、こちらもいろんなところをプッシュして回って
それなりに進み始めているので
うまくいけば今やっていることが製品化するための
最後のワンピースとできるかもしれません。
ということで、さっそくGoogleのことについて書いてみようと思います。
Googleに行って感じたことを端的に書くと、
特に真新しいことはありませんでした。
こういうとがっかりしたように思われるかもしれませんが、
逆で大きな収穫だなと思いました。
僕の中で、Googleという企業は、
ある意味、神格化されていたからです。
多くの日本人(僕も含めて)は何かにつけて欧米の文化ややっていることが特別ですごいとしがちですが、
世界で近年急成長してトップにまで上り詰めた企業がやっていることは
こうあればいいなということを普通にやっているということがわかったのです。
特に、優秀な人材が不安を抱かずに楽しんで最高の仕事ができるような
配慮がいたるところでされています。
よく報道されるGoogleの特徴は社内にレクレーションがあったり
食堂や売店が無料であったりする
ということですが、それはそのとおりでした。
僕がGoogleの概観を見た第一印象は大きな娯楽施設というもので
間違っていないと思います。
外には大きな広場と川が流れていたりするし、
お楽しみ施設もいろいろとあるし、
何より建物の数が30くらいあるということで
何でもあるのだと思います。
そして、社員自身がやりたいことをできるようになっているし、
労働時間は自分で本当に自由に設定してもいいらしいし、
労働時間の20%は自分の好きなことに使っていいし、
アメリカなので当然生活もしっかり楽しめるし、
きちんと働いていれば首になる心配も極力取り除いてあるし
業界を築きあげた人たちが普通に同じように仕事をしているし、
そういう人たちと一緒にプロジェクトをすることもできるし・・・。
と、後ろ向きになる要素を取り除き、
その上で前を向いて走る最高の環境づくりがなされているわけです。
後ろを見ずに前を向いて最高の仲間と走れれば怖いものなしですね。
そして、プロジェクトをまとめる人たちは
そうやって最高の状況で上がってきた結果を
どのようにまとめるかが問われるところです。
つまり、日本のように指揮命令系統が上→下というトップダウン的ではなく
下→上というボトムアップ的になっているわけです。
だから、最後に目標の形にまとめるわけで、
出来上がるものは目標を達成できているようになるのです。
これはやろうと思ってもなかなかできないですね。
なにより、下への信頼感がなければやってられない。
だから、採用の段階で下に入ってくる人はしっかり見ます。
しかも、見るのは人事ではなく現場のエンジニアたち。
人事は紙仕事するだけらしいです。
だから、本当に必要とされる人材を採用することができるんですね。
日本の企業はお客様は神様だといっているけど、
仮に神様だとして、その神様に与えるサービスの質を上げるためには
社員を良い状況においておかないといけないんですよね。
P.S.
昨日書きながら寝てしまったので、
何を後書きたかったのかわからなくなってしまいました。
2009年6月28日日曜日
荷物の発送
少しずつ帰国の準備をしている。
友達から借りていたものを返したり
部屋の棚に収まっていたものをすべて出してみたり、
必要かなと思ってためたごみを捨てたり
研究室からダンボールを持ってきたり
それなりに順調な感じだ。
友達の引越し屋さんからは
荷物が少なければ日通が安いと聞いていたけど、
調べてみるとクロネコヤマトとあんまり変わらない感じがするし、
帰って割高かもしれないとわかったので
友達に日本スーパーに連れて行ってもらうついでに
クロネコヤマトで発送してしまおうと思った。
荷物はそこまで増えなかったようで
クロネコヤマトで荷物を送ると
スーツケースにつめるものがなくなるかなぁと
へんな心配をしたりしている。
そして、バックパックも大きなものを用意しているので
スーツケースにバックパックをつめることになるのかなぁなんて。
ま、時間もないしあまり考えすぎずに行動しようと思う。
友達から借りていたものを返したり
部屋の棚に収まっていたものをすべて出してみたり、
必要かなと思ってためたごみを捨てたり
研究室からダンボールを持ってきたり
それなりに順調な感じだ。
友達の引越し屋さんからは
荷物が少なければ日通が安いと聞いていたけど、
調べてみるとクロネコヤマトとあんまり変わらない感じがするし、
帰って割高かもしれないとわかったので
友達に日本スーパーに連れて行ってもらうついでに
クロネコヤマトで発送してしまおうと思った。
荷物はそこまで増えなかったようで
クロネコヤマトで荷物を送ると
スーツケースにつめるものがなくなるかなぁと
へんな心配をしたりしている。
そして、バックパックも大きなものを用意しているので
スーツケースにバックパックをつめることになるのかなぁなんて。
ま、時間もないしあまり考えすぎずに行動しようと思う。
知らない人にHappy birthday!
送別会の帰り道で友達と一緒に帰っていると
道すがらカップルに絡まれた。
どうやら女の子の誕生日だったらしく
私の誕生日、私の誕生日と繰り返して
いろんな人に絡んでいるようだった。
でも、そういう知らない人の絡みに対して
みんなでおめでとうといってあげるころは
日本ではないんだろうなって思った。
日本ではそういうのは変な人として避けそう。
そう思うと、少し寂しい。
おせっかい文化がなかなか難しくなってしまった
日本では知らない人同士の敷居が異常に高い。
おんなじ日本人でおんなじくらいの年齢でも
お互いにほとんど交わらない。
こういうのは機会損失だなぁと思う。
同族意識をもってもっと交わってもいいものだと思うけど。
ちなみに、
そのカップルは僕らの後に
別のカップルを見つけて
キャーキャー騒いでいた。
道すがらカップルに絡まれた。
どうやら女の子の誕生日だったらしく
私の誕生日、私の誕生日と繰り返して
いろんな人に絡んでいるようだった。
でも、そういう知らない人の絡みに対して
みんなでおめでとうといってあげるころは
日本ではないんだろうなって思った。
日本ではそういうのは変な人として避けそう。
そう思うと、少し寂しい。
おせっかい文化がなかなか難しくなってしまった
日本では知らない人同士の敷居が異常に高い。
おんなじ日本人でおんなじくらいの年齢でも
お互いにほとんど交わらない。
こういうのは機会損失だなぁと思う。
同族意識をもってもっと交わってもいいものだと思うけど。
ちなみに、
そのカップルは僕らの後に
別のカップルを見つけて
キャーキャー騒いでいた。
送別会
昨日、LAでお世話になったメンバーに
送別会をしてもらった。
6ヶ月という短い期間だったけど
いろんなことがあったなぁとしみじみ。
LAに来て何が印象的かということを聞かれて
ぱっと出てこない自分にもどかしさを覚えたけど
LAにも日本があったとか、
LAはアジアだとか、
そういう感じのことを話しておいた。
実際何が僕にとってLAで一番印象的かと聞かれると
いろいろあったのでなかなか難しい。
一つ一つの話を順番にしていけば
いろいろと出て来るんだろうけど、
漠然と6ヶ月と考えると
何も出てこなかった。
きっと、このブログを見返したりすれば
いろんなものがよみがえってくると思う。
もうすぐ日本なんだなぁと思うと
何か遣り残しはあるかなって探してしまう。
あった。
研究が終わっていない。
そろそろ研究室に行くとしますか。
P.S.
プレゼントにみんなのメッセージカードとUCLAと書いてあるトレーナーをもらった。
寄せ書き風なものは今までもらったことがなかったので
かけがえのない思い出になりそうだ。
P.S.2
といっても、あと2週間ほどLAにいます。
送別会をしてもらった。
6ヶ月という短い期間だったけど
いろんなことがあったなぁとしみじみ。
LAに来て何が印象的かということを聞かれて
ぱっと出てこない自分にもどかしさを覚えたけど
LAにも日本があったとか、
LAはアジアだとか、
そういう感じのことを話しておいた。
実際何が僕にとってLAで一番印象的かと聞かれると
いろいろあったのでなかなか難しい。
一つ一つの話を順番にしていけば
いろいろと出て来るんだろうけど、
漠然と6ヶ月と考えると
何も出てこなかった。
きっと、このブログを見返したりすれば
いろんなものがよみがえってくると思う。
もうすぐ日本なんだなぁと思うと
何か遣り残しはあるかなって探してしまう。
あった。
研究が終わっていない。
そろそろ研究室に行くとしますか。
P.S.
プレゼントにみんなのメッセージカードとUCLAと書いてあるトレーナーをもらった。
寄せ書き風なものは今までもらったことがなかったので
かけがえのない思い出になりそうだ。
P.S.2
といっても、あと2週間ほどLAにいます。
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