2009年7月3日金曜日

人がものを考えるためには

人間がものを考えなくするためには
二つの方法があると思う。

ひとつはすべての感覚を取り除いてしまうこと
もうひとつはすべての感覚に刺激を与えすぎること。

感覚を取り除いてしまうということは
何も感じなくなるということである。

仮にこういう状況を考えてみよう。
真っ暗な空間で、
音もなく静かで、
何も触れるものがなく、
味を感じることも泣く
匂いもない。

このような状況だと人は何を考えるのだろう。

今の状況からそういう状況に投げ込まれれば
最初は何とか抜け出そうとするだろうが
そのうち何もしなくなるのではないだろうか。
そして、生まれた直後からそのようなところに置かれれば
何も考えられないのではないだろうか。

考えられるとすれば、
それは自分という存在についてだけだと思う。

つまり、人の思考は環境に大いに左右されるということだと思う。
人は環境に順応、環境を良くするために頭を使うのだろう。
ということは、人は遺伝でその人の能力が決まるというよりは、
環境によって与えられた刺激でその人の能力が決まってくる気がする。
もちろん、与えられた刺激に対してどう成長するかは遺伝が大きな要因になるだろうけど。

さてもうひとつの、感覚に刺激を与えすぎるというのはどうだろう。
これは、感覚に常に刺激を与えすぎるため
刺激がある状態が普通になってしまう。

なので、その刺激に対してそれなりに大きな刺激がこないと
感覚は反応することができなくなり
何も刺激がないのと同じになってしまう。

これは、コンサートに行ったときのことを考えればよくわかる。
ライブ会場に行って大きな音をしばらくの間聞いてみよう。
すると、最初は爆音に聞こえた音も徐々に普通になるだろう。
そして、その中で友達と会話しようとすると、
小さい声ではまったく話ができない。
大きな声で話したとしてもかろうじて会話ができる程度だろう。

これと同じで最初は大きな刺激があると、
刺激を大きな刺激と捕らえるため、
人は頭をフルに使って考えるのだと思うけど、
それがいったん普通になってしまうと
同じ刺激でも考えなくなってしまう。

おそらく、人がより大きな刺激を求めるようになるのは
こういう理由からだと思う。

こういうことを考えると、
人は普段小さな刺激を受けていて
時々大きな刺激を受ける
というのが考えるためにはいいのだろうなと思う。

1 件のコメント:

ittadao さんのコメント...

そういえば、同じくらいの刺激を長い時間というのも感じなくなりますね。