2009年4月12日日曜日

日本人は操作されやすい

少しの間、日本に一時帰国していたときのことを書きたいと思う。
というのも、一時帰国することでアメリカと日本の比較を少しすることができ
そこから、ちょっとした考えが生まれたからだ。

日本人の合言葉的標語に、
勤勉は美徳だというものがある。

この言葉は小さいときから今まで
幾度となく聴いてきた言葉で、
多少なりとも日本人の美徳として考えてきた面があった。

そして、それはある意味正しいと思うし、
ある意味よくないなと思った。

この標語のおかげで日本人は仕事に人生をつぎ込み
高度経済成長期を生み出すことができたわけであるが、
今この標語にしがみついている日本人にひずみが生じてきている。

日本の経済成長以降
欧米各国から日本は新しい価値を生み出せない
物まねの国と揶揄されている。

この言葉に対して、
どうにかしてクリエイティブな人材を作り出そうと
躍起になってどうすればクリエイティブな人材を作れるかを調査し始めた。
そして、欧米にあって日本にないものを沢山沢山取り入れ
その取り入れたものを持ち前の勤勉さで取り込んだ。

その結果、クリエイティブな人材は育ったのであろうか?
断言はできないけど、おそらくクリエイティブな人材は育っていない。
足りないものを積極的に取り入れたにもかかわらずだ。

この点について日本人は大きな間違いをしている。

それはクリエイティブな人材には勤勉が必要であるという点だ。

勤勉をこよなく愛するがゆえに、過剰に労働時間を増やしている。
その結果、物事を考える時間を圧迫してしまい、
誰かが言ったことを鵜呑みにしたり、目先のことに何も考えずに反応してしまう。
これでは、簡単に日本人は操られてしまうではないか。
クリエイティブ云々よりも、もっと大きな問題だと思う。

さて、ここでいう物事を考える時間というのは
そのことを常に頭に置いた状態でほかの事をするということである。

この説明がわかりやすいかはわからないが、
僕の経験上、講義や講演を聴きながら関係ないことを考えているときほど
クリエイティブな考えが生まれる。
おそらく、講義や講演から刺激をもらいながら別のことを考えることで、
別の視点から考えたり、別のことと融合させたりと
ひとつのことに集中していては見つけられない考えを探り当てることができるのだと思う。

ここではクリエイティブと書いたが、考える時間を持てば
自分が触れる情報が正しいかどうかということを判断する余裕も生まれてくることになる。
その結果、物事を鵜呑みにせずその正否を考えるようになると思う。

この時間を持たずに、仕事にのめりこめば
その仕事に関して極端を極めてしまうんだとおもう。
もちろん、その仕事から派生するクリエイティブなことに気づける可能性は低くなる。

逆に労働時間の割合を減らして考える時間を持てば、
新しいクリエイティブな問題を見つけ出すことにつながるんだと思う。

その点、アメリカにいると西欧の人はやはり自分の中で
仕事をするならここまでというのがしっかりと線引きされている。
もちろん、ある程度の仕事の時間を確保することは当然だけど、
そこに別のエッセンスを加えるために
意識的か無意識的に別のことをする時間を確保している。

日本が成長するには不可欠であった美徳が
さらなる日本の成長にはマイナスであるという皮肉だと思う。

こういうのも政治的策略なのかなと思ったり、思わなかったり。

P.S.
なんとなくどこかをモデルにしてそれを取り入れて発展した国というのは
こういう問題にいつかはぶつかるのかなと思う。
つまり、大きく発展したアジア諸国や中国もいつかは似たような問題にぶつかるのかもしれないと思う。

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