さて、ずいぶんブログの更新をご無沙汰していました。
なにせ日本から持って帰ってきた仕事があったり、
こちらでの生活のリズムになれるのに時間がかかったりと
いろいろとあったので、ブログの更新が思うようにできませんでした。
まだまだブログの更新は不定期になるでしょうが、
とりあえず、書けるときに書こうと思います。
この前の週末から急に暑くなりました。
週末に入る前は12~15度くらいの気温だったのが、
いきなり30度くらいまで上がったというではないですか。
そんなこと知らずに家の中で少し引きこもっていたのですが、
洗濯をしに部屋から出てみると
いつもの逆で部屋の外が暑いではないですか!
からっとしているはずなのになぜかむしっという感覚もあるし。
4月にしてもう夏な感じですね。
太陽はなかなか沈まないし、日差しはすごくまぶしいし
周りの人は薄着になるしと、急にいろいろ変わりすぎです。
特筆すべきは女性のスカート率がかなり上がったことです。
多いのはひざ上の短めのスカート。
やっぱりスカートいいですね。
どうやら涼しいらしいです。
今日初めて気がついたんですけど
すらっとした白人の足ってきれいですね。
ちょっと見とれてしまいました。
(ものすごく少数派ですが・・・)
ただ、まだ砂漠特有の肌をじりじり焦がす日差しや
あまりに乾燥しきった空気というのではないので
まだまだ安心です。
まぁ、日焼け止めとサングラスはそのうち必要になるのかなとは思っています。
サングラスは度が入ったものを持っていないので
めがねに固定するやつかなと思っています。
と、夏な感じでいたら、
今日の英語の発音のクラスで金曜日から再び涼しくなるといっていました。
また、寒いと感じる日が来るのか・・・。
思い描いたカリフォルニアの天気になるのはいつになるんだろう。
P.S.
あとスカートのほかに短パンの女性も沢山います。
この場合もすらっとした長い足だときれいに見えます。
2009年4月22日水曜日
狩猟民族と農耕民族 その3
「狩猟民族と農耕民族 その2」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/blog-post_2614.html
「狩猟民族と農耕民族 その1」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/1.html
農耕民族と狩猟民族の考察を行ってきましたが、
そこから見えてきたものがありました。
それは簡潔にいうと
農耕民族→データベースによる思考
狩猟民族→論理による思考
ということです。
これを基に考えると、
アジアが得意なことと欧米が得意なことの違いが
いろいろ説明できてしまいます。
まず、ひとつの例として、
アジア系はすでにあるものをよいものに変えていくのが上手といわれるのに対し、
欧米系は新しいものを生み出すのが上手といわれます。
つまり、アジア系は産業を発展するのが得意で
欧米系は産業を創出するのが得意ということですね。
これにも上の考え方が適用できます。
アジア系は昔から自分より年上の人を敬う文化があった。
これは、農耕において重要な年上の人のもつ経験に敬意を表したもので、
アジア系がいかに経験というものを重要視してきたかがわかる。
東洋的な気象予報も西に雲があるから雨が降るとか、
東洋医学もこの食べ物は胃腸を整えるとか
そういった経験的なものから派生してきた。
つまりデータベースを構築することが重要であるという考えだった。
産業を発展させるために必要なのは
頭で考えて論理的に思考することではなく、
うまくいくと考えた方法に加え経験的になぜかうまくいくというものが必要になってくる。
この蓄積によってよりよいより気の利いた製品が開発されている。
とくに、日本における職人というものは、
加工の精度が人より優れているというのではなく、
その人の中にある経験がしっかりしたデータベースとして構築されているから
精度良く素晴らしいものを生産することができる。
なので、いくら加工精度のいい工作機をつくっても
良いものはデータベースなしには作ることができず、
ハンドメイドを上回るものは作れないのだと思う。
一方、欧米は年上を敬うよりも論理的思考が重要視されてきた。
これは狩猟において獲物をとれたかどうかが重要で
そのためには経験も大事だけど論理的に考えたすばやい対応がもっと大事
ということによるのだと思う。
(昔の王侯貴族たちは、もちろん年上というのを重要視したと思うけど)
そのため、経験よりも論理で話をすることが重要とされ、
アジア系では年上の人に屁理屈と一蹴されそうなことでも、
筋さえ通っていれば屁理屈といわれそうな考えのほうが重要視される。
そのため、物事を論理的に考える訓練がしっかりされ、
うまくいきそうなインスピレーションを見つけると
そこから論理的に道筋をつけ
インスピレーションを現実化することができるのだと思う。
そのために、数式や方程式という誰もが納得せざるを得ない道具を使うことに長けており、
そのための数値化やクリティカルに利くパラメータを見つけるのがうまい。
インスピレーションを現実化する上で周りの人に納得してもらう必要があるため、
人に対するプレゼンテーションもうまくなるのだと思う。
と、ここまでいっておいてなんだが、
アメリカは世界一の農業大国なんだよなぁ。
P.S.
経験的と論理的では
未知のことに対する判断能力は圧倒的に論理的のほうが強い。
ただし、有知のことに対しては経験的な判断能力は
あらゆるパラメータを網羅しているため論理的よりも強い。
だから、新しいものを論理的に導き出すのは
狩猟民族のほうが得意なんだろうな。
P.S.2
結果第一主義というのも、
狩で獲物をとれたかどうかが重要であって、
今までうまかったかどうかということは
そこまで問題視されないために生まれた考え方だろう。
なにせ、生死がかかっていたのだから。
「狩猟民族と農耕民族 その1」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/1.html
農耕民族と狩猟民族の考察を行ってきましたが、
そこから見えてきたものがありました。
それは簡潔にいうと
農耕民族→データベースによる思考
狩猟民族→論理による思考
ということです。
これを基に考えると、
アジアが得意なことと欧米が得意なことの違いが
いろいろ説明できてしまいます。
まず、ひとつの例として、
アジア系はすでにあるものをよいものに変えていくのが上手といわれるのに対し、
欧米系は新しいものを生み出すのが上手といわれます。
つまり、アジア系は産業を発展するのが得意で
欧米系は産業を創出するのが得意ということですね。
これにも上の考え方が適用できます。
アジア系は昔から自分より年上の人を敬う文化があった。
これは、農耕において重要な年上の人のもつ経験に敬意を表したもので、
アジア系がいかに経験というものを重要視してきたかがわかる。
東洋的な気象予報も西に雲があるから雨が降るとか、
東洋医学もこの食べ物は胃腸を整えるとか
そういった経験的なものから派生してきた。
つまりデータベースを構築することが重要であるという考えだった。
産業を発展させるために必要なのは
頭で考えて論理的に思考することではなく、
うまくいくと考えた方法に加え経験的になぜかうまくいくというものが必要になってくる。
この蓄積によってよりよいより気の利いた製品が開発されている。
とくに、日本における職人というものは、
加工の精度が人より優れているというのではなく、
その人の中にある経験がしっかりしたデータベースとして構築されているから
精度良く素晴らしいものを生産することができる。
なので、いくら加工精度のいい工作機をつくっても
良いものはデータベースなしには作ることができず、
ハンドメイドを上回るものは作れないのだと思う。
一方、欧米は年上を敬うよりも論理的思考が重要視されてきた。
これは狩猟において獲物をとれたかどうかが重要で
そのためには経験も大事だけど論理的に考えたすばやい対応がもっと大事
ということによるのだと思う。
(昔の王侯貴族たちは、もちろん年上というのを重要視したと思うけど)
そのため、経験よりも論理で話をすることが重要とされ、
アジア系では年上の人に屁理屈と一蹴されそうなことでも、
筋さえ通っていれば屁理屈といわれそうな考えのほうが重要視される。
そのため、物事を論理的に考える訓練がしっかりされ、
うまくいきそうなインスピレーションを見つけると
そこから論理的に道筋をつけ
インスピレーションを現実化することができるのだと思う。
そのために、数式や方程式という誰もが納得せざるを得ない道具を使うことに長けており、
そのための数値化やクリティカルに利くパラメータを見つけるのがうまい。
インスピレーションを現実化する上で周りの人に納得してもらう必要があるため、
人に対するプレゼンテーションもうまくなるのだと思う。
と、ここまでいっておいてなんだが、
アメリカは世界一の農業大国なんだよなぁ。
P.S.
経験的と論理的では
未知のことに対する判断能力は圧倒的に論理的のほうが強い。
ただし、有知のことに対しては経験的な判断能力は
あらゆるパラメータを網羅しているため論理的よりも強い。
だから、新しいものを論理的に導き出すのは
狩猟民族のほうが得意なんだろうな。
P.S.2
結果第一主義というのも、
狩で獲物をとれたかどうかが重要であって、
今までうまかったかどうかということは
そこまで問題視されないために生まれた考え方だろう。
なにせ、生死がかかっていたのだから。
2009年4月15日水曜日
狩猟民族と農耕民族 その2
「狩猟民族と農耕民族 その1」はこちら→ http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/1.html
ここで狩猟と農耕に必要なことを書く。
個人的に実家が畑をやっているので
農耕に必要なことはそれなりにわかる。
農耕というものは
植物を天気や植物の成長度合いにあわせて育てていくものです。
その際に必要となることは、
今までの経験則や周りの農作名人に教えをこうことで、
より良い作物を収穫するためのデータベースを構築することです。
植物は動きませんし問題があっても
一刻を争うということはほとんどありませんので、
より確実な対応をする必要があります。
ただし、植物は手遅れになると回復することが難しいので、
時間よりも正確な対応を求められます。
また、植物の成長は長期間にわたるため、
時々刻々とパラメータの種類も度合いも変化してしまいますし、
それぞれの個体差があってひとつの正しい答えというものがあるのかわからないため
さらに複雑になっています。
そのため経験に基づくデータベースが適しています。
もちろん、ある程度、論理的に考えることもできないことはないんでしょうが、
考えなければならない問題(パラメータ)が沢山ありすぎて
正確な判断をすることは難しいです。
おそらく、子供を育てる感じなのではないでしょうか。
(子育て経験なしですが・・・)
一方、狩猟というものは
相手の行動を計算して相手の逃げ道を少なくしてしとめるものです。
その際に必要となるのは、
目標物を発見する→目標物のしとめ方を考える→目標物の逃げ道を考える→・・・
という具合に、論理的に目標物をしとめる可能性を高める思考が必要となります。
狩猟の相手は動物であり、
一瞬一瞬が勝負であるということを考えると
相手の行動を論理的に推測して先回りして行動することで
仮に相手が推測と異なる行動をしたとしても、
再びそこから論理的に推測することで
相手の行動に即座に対応できます。
これに農耕で有効なデータベースによる対応をすると
正確な判断をするために最適情報を探しているうちに
動物は動いてしまい条件が変わります。
すると、再び条件を変えて最適情報を探すことになり、
そのうち動物は逃げていってしまいます。
また、データベースにない状況に遭遇すると
対応することができず、
窮鼠猫をかむという予想もつかない状況では役に立ちません。
そのため、状況状況に応じて短時間で答えを出せる論理的思考が適しています。
もちろん、目標物を発見するまでにデータベースに頼ることもありますし、
狩猟の経験というものは大きく影響するとは思いますが、
狩猟の最中にデータベースに基づいた狩猟というのは合理的ではありません。
おそらく、スポーツのような感じではないでしょうか。
(スポーツも最近していませんが。)
こう考えると、
農耕民族はデータベース思考に慣れ親しんでおり、
狩猟民族は論理的思考に慣れ親しんでいるといえるんではないでしょうか。
つづく
ここで狩猟と農耕に必要なことを書く。
個人的に実家が畑をやっているので
農耕に必要なことはそれなりにわかる。
農耕というものは
植物を天気や植物の成長度合いにあわせて育てていくものです。
その際に必要となることは、
今までの経験則や周りの農作名人に教えをこうことで、
より良い作物を収穫するためのデータベースを構築することです。
植物は動きませんし問題があっても
一刻を争うということはほとんどありませんので、
より確実な対応をする必要があります。
ただし、植物は手遅れになると回復することが難しいので、
時間よりも正確な対応を求められます。
また、植物の成長は長期間にわたるため、
時々刻々とパラメータの種類も度合いも変化してしまいますし、
それぞれの個体差があってひとつの正しい答えというものがあるのかわからないため
さらに複雑になっています。
そのため経験に基づくデータベースが適しています。
もちろん、ある程度、論理的に考えることもできないことはないんでしょうが、
考えなければならない問題(パラメータ)が沢山ありすぎて
正確な判断をすることは難しいです。
おそらく、子供を育てる感じなのではないでしょうか。
(子育て経験なしですが・・・)
一方、狩猟というものは
相手の行動を計算して相手の逃げ道を少なくしてしとめるものです。
その際に必要となるのは、
目標物を発見する→目標物のしとめ方を考える→目標物の逃げ道を考える→・・・
という具合に、論理的に目標物をしとめる可能性を高める思考が必要となります。
狩猟の相手は動物であり、
一瞬一瞬が勝負であるということを考えると
相手の行動を論理的に推測して先回りして行動することで
仮に相手が推測と異なる行動をしたとしても、
再びそこから論理的に推測することで
相手の行動に即座に対応できます。
これに農耕で有効なデータベースによる対応をすると
正確な判断をするために最適情報を探しているうちに
動物は動いてしまい条件が変わります。
すると、再び条件を変えて最適情報を探すことになり、
そのうち動物は逃げていってしまいます。
また、データベースにない状況に遭遇すると
対応することができず、
窮鼠猫をかむという予想もつかない状況では役に立ちません。
そのため、状況状況に応じて短時間で答えを出せる論理的思考が適しています。
もちろん、目標物を発見するまでにデータベースに頼ることもありますし、
狩猟の経験というものは大きく影響するとは思いますが、
狩猟の最中にデータベースに基づいた狩猟というのは合理的ではありません。
おそらく、スポーツのような感じではないでしょうか。
(スポーツも最近していませんが。)
こう考えると、
農耕民族はデータベース思考に慣れ親しんでおり、
狩猟民族は論理的思考に慣れ親しんでいるといえるんではないでしょうか。
つづく
狩猟民族と農耕民族 その1
日本に一時帰国しているときとアメリカに来てから
なぜかこのテーマについて考えていたので
少し記録しておこうと思う。
人類の祖先はサルだったとすると
最初は天敵から逃げて隠れて
木の実なんかを集めて食べていたんだと思う。
でも、次第に道具を使えるようになって、
天敵から身を守れるようになり、
同時に食べ物の獲得方法として採集に加え狩猟という選択肢が増えた。
ここで、狩猟民族と採集民族(後の農耕民族)に分かれる大きな分岐点があった。
僕が考えるに狩猟民族になるか採集民族になるかの背景には
気候が大きく関係していると思う。
熱帯、温帯、冷帯、寒帯にわけると、
熱帯には植物が潤沢に存在していて
温帯には植物がそれなりに存在していて
冷帯には植物が多少存在していて、
寒帯には植物が余り存在していないということになる。
植物から採集によって得られる食べ物の量は
熱帯>温帯>冷帯>寒帯ということになる。
食べ物を手に入れるという理由では
より生命の危険の少ない採集を選択するほうが賢い選択だと思う。
そのため、人類の祖先はできることなら楽な採集で食べ物をまかないたかったと思う。
つまり、熱帯や温帯は比較的労力をはらわなくても食べ物が手に入ったのだと思う。
(食べ物を確保する労力を使わない代わりに、文明を発展させることに労力を使った。)
しかし、冷帯や寒帯のように植物の少ない地域では
採集だけで生き延びることが難しく狩猟をせざるを得なかったのだと思う。
そして、それぞれがより容易に食べ物を手に入れるために
狩猟民族は武器の開発や戦略を考え
採集民族は農耕技術の開発や統治を考えた。
このように生活の場所により、
それぞれの人たちは違う文化を持つようになった。
そして、その文化の違いが今の考え方に大きく影響を与えている(と思う)。
つづく
P.S.
狩猟民族だから狩猟しかしないとか農耕民族だから農耕しかしないということはないと思う。
要は割合の問題。
P.S.2
それから狩猟民族の方が生死に常に瀕してきただろうから、生きることに貪欲だと思う。
なぜかこのテーマについて考えていたので
少し記録しておこうと思う。
人類の祖先はサルだったとすると
最初は天敵から逃げて隠れて
木の実なんかを集めて食べていたんだと思う。
でも、次第に道具を使えるようになって、
天敵から身を守れるようになり、
同時に食べ物の獲得方法として採集に加え狩猟という選択肢が増えた。
ここで、狩猟民族と採集民族(後の農耕民族)に分かれる大きな分岐点があった。
僕が考えるに狩猟民族になるか採集民族になるかの背景には
気候が大きく関係していると思う。
熱帯、温帯、冷帯、寒帯にわけると、
熱帯には植物が潤沢に存在していて
温帯には植物がそれなりに存在していて
冷帯には植物が多少存在していて、
寒帯には植物が余り存在していないということになる。
植物から採集によって得られる食べ物の量は
熱帯>温帯>冷帯>寒帯ということになる。
食べ物を手に入れるという理由では
より生命の危険の少ない採集を選択するほうが賢い選択だと思う。
そのため、人類の祖先はできることなら楽な採集で食べ物をまかないたかったと思う。
つまり、熱帯や温帯は比較的労力をはらわなくても食べ物が手に入ったのだと思う。
(食べ物を確保する労力を使わない代わりに、文明を発展させることに労力を使った。)
しかし、冷帯や寒帯のように植物の少ない地域では
採集だけで生き延びることが難しく狩猟をせざるを得なかったのだと思う。
そして、それぞれがより容易に食べ物を手に入れるために
狩猟民族は武器の開発や戦略を考え
採集民族は農耕技術の開発や統治を考えた。
このように生活の場所により、
それぞれの人たちは違う文化を持つようになった。
そして、その文化の違いが今の考え方に大きく影響を与えている(と思う)。
つづく
P.S.
狩猟民族だから狩猟しかしないとか農耕民族だから農耕しかしないということはないと思う。
要は割合の問題。
P.S.2
それから狩猟民族の方が生死に常に瀕してきただろうから、生きることに貪欲だと思う。
最近の日本で女性が元気といわれる理由
日本は最もうまくいった社会主義とよくいわれている。
それは、年功序列のような安定をめざした横並びシステムを採用しているからなのかなと思う。
しかし、こういう風になると、本当の社会主義と同じで
若者が活力を失ってしまう。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/blog-post_14.html
企業の成長曲線を国にそのまま当てはめると、
戦後が創業期で、高度経済成長期が成長期で、それ以降が安定期で、
そろそろ衰退期に入っているような気がする。
こういうときは新しい産業の創出が不可欠で、
そのときに若者の活力がないのは大きな問題だと思う。
特に大きな問題に面しているのは男性だと思う。
男性はもともと家を守るため狩をしてきました。
狩をするためには指揮命令系統がしっかりしていて
とっさの自体に集団として動くことが必要となります。
そのため、男性は縦の社会での活動に最適化されています。
狩自体が動物との競争であるのに加え、
男性はより優位に立つためには縦の社会でうえに上る必要があり、
そのため競争によってモチベーションを得ます。
しかし、現在の日本のシステムは競争をかなり排除したシステムになっており、
男性がモチベーションを維持することが難しくなっています。
一方、女性はというと隣近所と仲良くすることで社会をまとめてきました。
この場合、女性に必要なのは協調性や安定性であり
その中で工夫してよりよい生活を目指します。
つまり、横の社会での活動に最適化されています。
そのため、女性がモチベーションを得るためには競争は必要なく
安定した状況の中での活動に適しています。
こういうことを考えてみると、
現在男性よりも女性のほうが元気だという声を良く聞きますが、
競争のない安定を目指した社会では
狩をしてきた競争が不可欠な男性よりも、
安定した状況下を好む女性の方が
元気になってもなんら不思議ではないと思います。
P.S.
こういうことを考えると、安定したシステムを好む日本人は
世界的に見ると女性的なのかもしれませんね。
・・・、というか人間は安定を常に求めてきたんですよね。
P.S.2
もちろん競争を好む女性もいれば、安定を好む男性もいます。
それは、年功序列のような安定をめざした横並びシステムを採用しているからなのかなと思う。
しかし、こういう風になると、本当の社会主義と同じで
若者が活力を失ってしまう。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/blog-post_14.html
企業の成長曲線を国にそのまま当てはめると、
戦後が創業期で、高度経済成長期が成長期で、それ以降が安定期で、
そろそろ衰退期に入っているような気がする。
こういうときは新しい産業の創出が不可欠で、
そのときに若者の活力がないのは大きな問題だと思う。
特に大きな問題に面しているのは男性だと思う。
男性はもともと家を守るため狩をしてきました。
狩をするためには指揮命令系統がしっかりしていて
とっさの自体に集団として動くことが必要となります。
そのため、男性は縦の社会での活動に最適化されています。
狩自体が動物との競争であるのに加え、
男性はより優位に立つためには縦の社会でうえに上る必要があり、
そのため競争によってモチベーションを得ます。
しかし、現在の日本のシステムは競争をかなり排除したシステムになっており、
男性がモチベーションを維持することが難しくなっています。
一方、女性はというと隣近所と仲良くすることで社会をまとめてきました。
この場合、女性に必要なのは協調性や安定性であり
その中で工夫してよりよい生活を目指します。
つまり、横の社会での活動に最適化されています。
そのため、女性がモチベーションを得るためには競争は必要なく
安定した状況の中での活動に適しています。
こういうことを考えてみると、
現在男性よりも女性のほうが元気だという声を良く聞きますが、
競争のない安定を目指した社会では
狩をしてきた競争が不可欠な男性よりも、
安定した状況下を好む女性の方が
元気になってもなんら不思議ではないと思います。
P.S.
こういうことを考えると、安定したシステムを好む日本人は
世界的に見ると女性的なのかもしれませんね。
・・・、というか人間は安定を常に求めてきたんですよね。
P.S.2
もちろん競争を好む女性もいれば、安定を好む男性もいます。
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