そういえば、日本の研究室のボスの書いている文章を読んでいたら、
こういう文章が書いてあった。
大時化の海上で、イギリス人、フランス人、イタリア人と日本人を乗せた船が難破して沈没寸前になった。助かる望みはただ一つ、荒波の海に飛び込んで彼方に見える島まで泳ぐことだ。しかし、逆巻く波のすごさにすくみあがって誰も飛び込まない。そこで老練な船長がイギリス人に言うには「女王陛下のご命令です。飛び込みなさい!」イギリス人は飛び込んだ。フランス人には「貴国の大統領が、海難の時は絶対に海に飛び込んではいけないという声明を発表したとの連絡がありました」フランス人も飛び込んだ。イタリア人には「噂によるとあの島にはとびきりの美人が一人で住んでいるらしいです」もちろんイタリア人は飛び込んだ。残った日本人には「ホラ、みんな飛び込んでいますよ!」
まとめてみると、
イギリス人: 女王陛下の命令
フランス人: 大統領の声明の反対
イタリア人: とびきりの美人
日本人: みんながやっている
ということが行動のきっかけになっている。
つまり、イギリス人は権威や地位に弱く、
フランス人は権威や地位に反対し、
イタリア人は美しいものに目がなく、
日本人は周りの行動に合わせる。
まぁ、国民性をよく反映した文章だなと思ったけど
これをほかの事に当てはめてみると
なかなか面白い。
例えば、それぞれの国の人に何が食べたいかと聞くと
イギリス人は老舗
フランス人は穴場の知る人ぞ知る店
イタリア人は雰囲気のある店
日本人はみんなが行きたい店
となるんでしょうね。
例えば、それぞれの国の人をコンサートに連れて行くとすると
イギリス人は有名な楽団のオーケストラ
フランス人はこれから有名になろうとしている新進気鋭のミュージシャン
イタリア人はきれいなおねいちゃんの多いナイトクラブ
日本人はみんなのいくところ
となるんでしょうね。
例えば、それぞれの国の研究者に
イギリス人は女王陛下が喜ぶ研究
フランス人は大きな流れからずれた研究
イタリア人は美しいと思う研究、もしくはもてそうな研究
日本人は大きな流れに乗った研究
ってなるんでしょうね。
とかいていて、日本人は自分がやりたいからといって行動することは
ほとんどないのかなぁと思いました。
特に研究という点では大きなハンデだなと。
だって、周りがやっていることにはもう新規性ないんですから。
P.S.
もちろん、みんながみんな当てはまるわけではないですがね。
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