人間の生活は科学技術の発展でずいぶん楽になったし
豊かになった。
といわれている。
ある一面ではそれはもう首が千切れるくらい縦に振って
賛成できるんだけど、
ある一面では逆だよなぁと思ってしまう。
というのは、
人間の生活が全部同じになったと思う。
同じっていうと豊かって感じではないと思う。
例えば、日本の一般家庭では、
家には洗濯機・冷蔵庫・テレビがあって
最近ではパソコン・デジカメ・プリンターがあるという。
どこの家庭にいっても似たような生活スタイルがある。
そして、映画を見たり、
お茶をしたり食事に行ったり、
買い物をしたりしている。
どこも同じようなことをしている。
極度に画一化された生活だなぁと思う。
もちろん多少の違いはあるけど、
そんなの目くそ鼻くそに過ぎない。
なんだか誰かに言われて同じような生活をするようになったように
見えなくもない。
どうしてかなぁと思ったら
大量生産大量消費という
画一化されたものを消費するという構造に
原因があるんだなぁと思った。
供給されるものが同じだと
同じように使ってしまうというわけだ。
ある意味、ものによって人間があるルールに
のっとっている感じがする。
つまり、こうだ。
ものに支配される人間。
でも、なかにはものに支配されていない人間もいる。
一見同じと感じることにも
まったく違った使い方や捕らえ方をすることもできる。
テレビを
世の中で何が起こっているかの情報ソースとして受け止めることも、
世の中の人がどういう風な情報にさらされているかという情報ソースとして受け止めることも、
それは使う人の自由だ。
車を
単なる移動するための道具と考えることも
ドライブを楽しむ道具と考えることも
それは使う人の自由だ。
一様に同じものが行き届いた世界では
ついついものという見えないルールにそって生活しがちだけど、
ものに与えられた価値を超えた使い方を考え出してすることで
ものに支配されない生き方ができるんだと思う。
ついつい、与えられたルールに沿って物を使いがちだけど、
少し考えてみてもいいのかなと思う。
そうすることが、豊かな生活への一歩だと思う。
5 件のコメント:
ある程度なんとなく共感はできるのだけれど。
昔は画一化されていなかったのか?と思う。
あーごめん。
> ついつい、与えられたルールに沿って物を使いがちだけど、
少し考えてみてもいいのかなと思う。
そうすることが、豊かな生活への一歩だと思う。
個人に対する生活の指針という意味で、この結論自体は全面的に賛成する。
> さかはらさん
たぶんね、そこまでばらばらだったわけではないと思うけど、今ほどは画一化されてなかったと思う。均一なものがみんなの手に渡らなかったら、同じことをしようとしても、使うものが違うから同じように同じことができない。
例えば、同じくらいの能力を持った侍がいたとして、刀鍛冶が鍛え上げた名刀を持っている人と、なまくら刀を持っている人じゃ同じように戦っても勝負にならないのと同じ。違うものを持っているのなら、違うことを前提にものを考えて使い方を考えるから、刀だけじゃ勝負にならないといって、砂を蹴り上げて目くらましをするとかいろいろ考えるよね。
道具が発達していない昔はもっともっとものに振り回されるより、頭を使っていたと思う。水を汲むにも壷を使うか皮袋を使うか、手を使うかみたいに。
まぁ、頭使えば豊かになるということがいいたいわけで、ひょっとしたらたとえが適切でない可能性はあるね。でも、ものがひとつの要因ではあると強く思ってるよ。
オリジナリティを出すなんていわなくても、最初からオリジナリティでてるよって感じだね。だから、研究でも世界でひとつしかない装置を作ればそれだけでオリジナルになるんだよね。
削除したコメントは、接続詞がおかしかった。
コメントを投稿