でこぼこが大事だよなぁ
と最近思うことが多い。
でこぼこといっても
僕以外の人には伝わらないので
ちょっとでこぼこを説明しようと思う。
でこぼこというのは
変化があるということだ。
舗装された道と山の中の道では
山の中の道のほうがでこぼこ。
単一民族国家と多民族国家では
多民族国家のほうがでこぼこ。
会社と大学では
大学のほうがでこぼこ。
都会と田舎では
田舎のほうがでこぼこ。
機械と生き物では
生き物のほうがでこぼこ。
人工と自然では
自然のほうがでこぼこ。
なんとなくわかってくれただろうか?
均一なものか不均一なものかということもできる。
かっちり隙間のないものと隙間があったり遊びがあるものということもできる。
単調なものと多様なものということもできる。
そういったものに共通するのが、でこぼこ。
(と僕はいっている。)
でこぼこがあると、いろんな刺激がある。
自分とあうことも自分とあわないこともある。
でも、いろんな刺激があると考える。
何だろう?
どうしてだろう?
何に使えるだろう?
どうなってるんだろう?
いろんな?が頭の中を交錯して
あるとき?から豆電球に灯がともる。
そんな豆電球を沢山つけて
自分の世界を明るくするっていうのが大事なんだと思う。
豆電球が沢山ともることで
自分が明るく照らされて
くっきりと輪郭が浮かび上がる。
そして、ようやくわかる。
僕は僕、あなたはあなたなんだって。
残念だけど、今の日本ではなかなか難しいと思う。
いろんなものからでこぼこがなくなって、?が生まれにくくなっているから。
?が生まれないっていうのは、ある意味楽園なんだろうけどね。
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