よく日本では博士号というものに価値を見出さない
ということをいうけれど、何でか考えてみた。
一般的には日本の博士号を持った人は会社で使えないからといわれる。
使えないというのは、
人とのコミュニケーションがとれないということだ。
博士課程で研究をしてきた人は個性的で扱いに困る。
研究のいろはなら会社で教えるから、博士課程を卒業した人である必要はない。
まぁ、そんな答えが返ってきそうだ。
でも、たぶん本当の理由は違う。
博士課程というところは自分で考えた世界初を筋道だてて実現するということを通して、
ものの考え方、まさにDoctor of Philosophyの名前のごとく自分の哲学を養うところだと思う。
だから、個性的だというのは間違った分析ではないと思う。
ただ、日本の会社で必要としている能力ではないのだ。
日本の会社は既存商品を高い水準で同じ品質のものを作ることに重点を置いている。
新しいものを作るにしても既存商品の組み合わせから作る。
それは、あくまで今ある1の価値を10に、100にしていくという仕事だと思う。
そのためには社員が同じようにものを考えて
いろんな考え方を排除して会社の考え方で
会社の目標に向かって走るのがいいのだと思う。
一方、博士号を持っている人は世界初を実現する力を養った。
これは0から1の価値を生み出す力だ。
こんな力、日本の会社には必要とされない。
でも、欧米の会社は違う。
日本と欧米の会社の違いとしてよく言われることは、
会社から新しい商品が出てきたり、
新しい発見の商品化を積極的に進めたりできている。
つまり、0から1の価値を生み出している。
こういった会社では博士号の価値が十分生きる。
欧米ではこういったことを重要視している。
日本の会社が考えたものを
日本ではうまく商品にすることができずに
結局欧米の会社があとから考えて
世界中に商品を提供するということが
日常茶飯事にある。
そりゃ、会社の向いている方向が違うんだから、
こういうことは仕方ないと思う。
仮に日本発のものをもっと世の中に出したいのであれば
もう少し博士という異質なものに価値を見出して
会社の中にいろんな考え方が存在することを奨励すればいいのだと思う。
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