とりあえずアメリカは問題が起こる。
問題が起こらない日本が不思議になるくらい
問題が起こる。
問題が起こってきちんと報告しても
その問題が解決するまでには
2・3回報告や主張を繰り返さないと
なにもかわらない。
そりゃ、いつもこういうことに対応していけば
自己主張が強くなったり、論理性がよくなったりするわな。
そう自己主張や論理性が生きるうえで必要なんです。
この理由は結局のところは移民の国、
つまり、いろんな常識が混じっているからだと思うl。
あるところでは十分なことがあるところでは物足りない。
こういうことは当然でてくる。
例えば、僕が英語サークルみたいなのの見学に行ったとき
イタリア人は順番守らない、ルール守らない、とにかく野次馬みたいなことを
イタリア人が紹介動画を見せていたけど、
それはイタリア人なら問題ないけど対外国人になると
大きな問題になる。
日本でそんなことしている人がいたらどうでしょう・・・
KYとかいってみんな避けるようになるんでしょうね。
別に本人は悪気ないんです。
本人にとっては許容範囲のつもりが
他人にとっては許容範囲でないということです。
日本人が何もないのに笑うって言うのとかも似たようなことでしょうね。
すべてに自己主張を読み取る国民性にとっては
意味不明で気持ち悪いと。
ということで、
何も主張しないよりは何か主張しないといけないんでしょうね。
日本人にはなかなか慣れが必要ですが。
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