2009年5月28日木曜日

大量生産による品質の低下と追記

この前国の活力をあげるためにはってエントリーを書きました。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/05/blog-post_3006.html

で、コメントにあるように指摘されたのですが、
まったく持ってそのとおり。
コリャなんだと思ってしまいます。

今の状況はたまってきたネタをどうやって消化するかということばかり考えていて
文章を練るというよりは、文章をとりあえずあげるということをしていましたね。
だから乱文の大量生産。

よく陥るケースを自戒の意味もこめて。

自分で考えに考えて、
出てきた答えは一見するとすごくシンプルだったりするのですが
その過程ではあーでもないこーでもないを繰り返すわけです。
そのあーでもないこーでもないといった思考の過程を省略してしまうと
そんなのどこでも言われていることだよってなってしまいます。

これは研究はできるけど教えるのが下手な研究者が陥るケースかと思います。
確かに学ぶステージでは考えてきたことも、
学び終わって教える側に立つと別のステージに立ってしまうことで
今までの思考の過程や必要な情報を常識として考えて伝えてしまうんですね。

教えることにはある程度自信があっただけに
僕も教えるのが下手になってきていると考えると
ショックですね。

他にも、
こういうことを書こうと思って書き始めても
書いている途中に頭の中で思考をあっちにいったりこっちにいったりしながら書いて、
その過程をを省略してしまうと、
最初と最後が一致しない。
これ僕の今回のケースです。

たぶん、こういうことが多いんだろうなと思います。
だから、天然といわれたり良いこというなぁとなるのかもしれません。

物事は順を追って説明しないと伝わるものも伝わらない。
丁寧すぎるくらいでちょうどいいんです。
とわかっていても、今回は急ぎすぎました。


と書いていて、前のエントリーで詰まっていたことに対して
ひとつの考えが浮かびましたので、ここに書いておきます。

コメントで
保守:ブレーキ
革新:アクセル
という表現をしています。
そして、バランスをとりつつ変わっていくのがいいとも書いています。

でも現実問題、バランスをとりながらっていうのは
結構難しい。
で思いました。

とりあえず革新にやらせてみて、行き過ぎる前に保守が止める。

これは車にたとえるとわかりやすいと思います。
車はアクセルを踏んで、スピードをブレーキで調節するわけです。
発進するときにいくらブレーキを踏んでも
前には進めません。

だから、まずはアクセルを踏む。

ただ、車が発進してしまうと、
事故が起こる可能性は一気に上がります。
なら、どうするか。

ブレーキを踏んでスピードを調節したり
緊急時にはとまれるようにする。
つまり、安全に運転するにはアクセルよりもブレーキが強い必要があります。

ということは、保守>革新という図式のほうがやっぱり安全です。
ただ、前にも書きました。
まずはアクセルを踏む。

ということで、とりあえずの僕の結論は、
革新が自由に行動できるようにする。
保守は革新の行動を見ていてあげる。
暴れん坊将軍を見守るじいのように。

ただし、保守のほうが力は強くて、
いざというときは革新の暴走を食い止めることができる
というシステムを作ればいいんじゃないでしょうか。

と考えると、年功序列自体はそれなりに良い。
ただ、今の年功序列は若い人が身動き取れなくなっているのが良くない。
年をとった人の能力を評価するシステムなんだから
もうすこし年をとった人はアドバイザー的でいいんじゃないかなと。

そうすれば、たぶん安全運転ができるはずです。
どうだろう?

6 件のコメント:

natsu さんのコメント...

言いたいことは理解できます。
(私はね”笑”)

ちょっと違う視点からコメント。
アクセルもブレーキも大切なのは当然。
ポルシェの最大の魅力はそのブレーキ力、車の制動力にあることはちょっと車を知っている人だったら当然の話。
スピードを出すだけなら簡単。
スピードをコントロールするのが難しいわけです。


さて、国に対しての話。
ちょっとすっ飛ぶかもしれないけど、大切なのは目的地じゃないですかね?
アクセルもブレーキも進むべきベクトルが間違っていたら、、?になります

年功序列に関しての儒教の扱い方は、
同じ能力ならば、年長者の方が経験を積んでいるだろうから良いのではないか?
ということです。

単純に皺の数だけを競っても意味がありません。

システムは道具であり
愚かな人ほどシステムに依存します。

それが、錬金術であるかのように。

年功序列も能力主義も道具でしかないですからね。

個人的に座右の銘
【我々にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ。】

高木 敦也 さんのコメント...

ブレーキが大切なのは勿論ですが、やはり、いつどのくらいブレーキをかけるのか、が難しいと思います。結局は、賢い人がブレーキかけないと危ない、という事になると思います。"いざ"というのは、相対的な意味なので、人によって何が"いざ"という時なのかは変わってしまいます。

集団は、ある程度の規模になると魅力を失う傾向にあると思います。これは必ずしもいつでも真では無いとは思いますが、ある集団において、誰かが誰かに疑問を抱き出した時、それはすでにその集団が上手く行かなくなり始めた証拠な気がします。

ittadao さんのコメント...

> natsuさん
僕は日本はスピードすら出ていないのに、ブレーキを強化しているのが問題だと思います。もちろん、危険予測は重要ですが、そればっかりになってしまうと発展がまったくなくなります。危険だけどやる価値があることをやっていくのはすごく重要だと思います。

もちろん、目的地は最重要です。
これもそうですが、ある程度の方向性を決めたら、
見切り発車で走りながら考えるというのがもっと重要だと思います。
走らないと見えない景色もあるわけですから。

> 【我々にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ。】

このためにはお互いの間に信頼がないといけないんでしょうね。

ittadao さんのコメント...

> 高木 敦也さん
そうですね、いつどのくらいブレーキをかけるかは、すごく難しいですね。ブレーキをかけたから得られることもあれば、ブレーキをかけないことで得られることもあるわけで。
結局、あるひとつの目標に向かって賢い人が判断するということになるんでしょうか。
うーん、なんだか結局世の中裏で糸を引く人がいなければうまく回らないという風になるんですかねぇ。

> ある集団において、誰かが誰かに疑問を抱
> き出した時、それはすでにその集団が上手
> く行かなくなり始めた証拠な気がします。
確かにそういう一面はあるかもしれませんね。
みんなでひとつの方向性を持って活動することができなくなり、集団のメリットが働かなくなりますね。まぁ、それだけ正しい道というものは人それぞれで、集団内でその意見を尊重すると平均値でしか動けなくなり、今まであった魅力がどんどん失われていくのかもしれませんね。

さかはら さんのコメント...

まず謝罪。
> このエントリーは突っ込みどころ満載なので、どこにコメントしようか迷ったんだけれど、
この口上は要らなかった、ごめんなさい。

個人的には、書き手の立ち居地というのは非常に重要であって、それが明確でなっていない文章というのは非常に気持ちが悪い感じる。と追加コメントしときます。
#ここのコメント欄でのittadaoのコメントは非常に立ち居地がはっきりしていて、好ましいと思う。

ittadao さんのコメント...

> さかはらさん
いやー、事実突っ込みどころ満載だから
そういうのかいてくれても問題ないよ。
それに、突っ込んでくれるのはすごくうれしいし。

> 個人的には、書き手の立ち居地というのは
> 非常に重要であって、それが明確でなって
> いない文章というのは非常に気持ちが悪い
> 感じる。
僕もそう思うよ。でないと読んでいる人は何かいてるんだって思ってしまうよね。
他人に読まれる文章ってことをもう少し意識しないとなぁと思いつつ、意識するのを怠ると、自分に閉じた文章を書いてしまうのは避けられないなと。
どこかで、ブログっていうよりは日記って言う感覚で書いているんだと思う。