2009年5月26日火曜日

国の活力をあげるためには

新陳代謝が悪くなれば
老廃物がたまってくる。

人間社会も同じ
若者の力が小さくなれば
年長者の力が大きくなります。

年長者たちは自分の立場を守るために
長年積み上げたものを守ります。

その長年積み重ねたものは昔は良かったけど
今の世の中にはあわないものはあって当たり前です。
盛者必衰なのですから仕方ありません。

でも、そんなことがわかっていても
自分を守るために長年の積み重ねを大事にします。
いわゆる、保身というものです。
すると、その社会はどんどん活力を失い
古きよきものに埋もれていってしまいます。

それを最も助長するのが年功序列な社会なのでしょう。

企業も同じ。
全部一緒だよなぁと思います。

年功序列というシステムは
資本主義では物事のよしあしを吟味する時間も惜しんで
どんどん新陳代謝をあげていくことが求められるため
うまく機能しません。

でも、おそらく社会主義ではうまく働くのだと思います。
社会主義ではお金よりはその方向性が重要視されると思うので
活力は方向性に比べると二の次です。
そして、年長者のほうがやはり若者よりも俯瞰したものの見方ができるため
間違った方向に進むのをとめてくれるからです。

といっても、今の世の中は資本主義ですので
資本主義で有効に働くようにしないと
国としての国力が下がってしまいます。

そうなると、やはり古き良きを尊重するよりも
新しい活力のほうが重要となります。

ただし、ここで問題になるのは
どうやって長年培ったものを取り除くか。
もちろんこれは一筋縄ではいきません。
だって相手は権力者だから。

そのためには同等の勢力を作り上げるか
草の根的に活動を広めるか。
といったところでしょうか。

どちらかではなくどちらも必要ですね。

なんにせよ、活力をあげていくには、
若者に年長者がその座を譲る必要があります。

3 件のコメント:

さかはら さんのコメント...

このエントリーは突っ込みどころ満載なので、どこにコメントしようか迷ったんだけれど、

結局書いてることは世の中には「保守」と「革新」の2つの勢力があって、現状ではtadaoは「革新」側に利(or理)が大きいと見ると。そういう話やよね。

まぁそれはそれでいいんだけど、最後のオチはないわ。
> なんにせよ、活力をあげていくには、
> 若者に年長者がその座を譲る必要があります。
「保守」対「革新」の勢力争いなのに、なんで「保守」の側が歩み寄って「革新」に「譲る」必要があるの?

最後は
「若者が年長者の座を奪う必要があります」
じゃないの?

自分にあるはずの責任を「年長者」側に向けるという点で、tadaoの文章がこの結論になるということはちょっと受け入れられない。
あるいは、それすらも勢力拡大の一手なのかもしれないけれどさ。

ittadao さんのコメント...

> さかはらさん
ありがとう。
そういう突っ込みすごく歓迎します。
僕が無意識で飛ばしている部分とかがあると思うから、
もっともっと突っ込んでください。

> 「保守」対「革新」の勢力争いなのに、なんで「保守」の側が歩み寄って「革新」に「譲る」必要があるの?
確かに言葉だけ読むと、その結論何?っておもってしまうね。
僕も読んでいて、びっくりした。
やっぱりしっかり考えているときに文章は書かないと
部分的にメモしたものから時間をかけずに書き直すと
いろいろ抜けてしまって、ぜんぜん伝えられないわ。

この文章を書いたときの僕は、譲るっていうのは
「はい、どうぞ」っていう形だけではなくて
奪い取られて結果的に譲るといういうことも含んで書いたんだと思う。

もちろん理想的には保守が現状を冷静に見て
革新に「はい、どうぞ」と場所を譲る方がいいんだけど。

というのも、僕の頭の中では
次のような考えが基本としてあるから。

保守と革新という分類でいくとすると
確かに今は革新の側に利があると思う。
ただ、僕は社会には保守も革新も必要だと思っていて
状況が革新にふれすぎると
逆の問題が起こるのは目に見えている。

ここで、保守と革新それぞれにどういう特徴があるかを僕なりに考えてみる。
保守:今まで積み上げてきたものを守る。経験があるということと現状維持ということから、ある程度大きくものを冷静に見れる(余裕がある)。ブレーキ。安定型。農耕的。
革新:現状の問題を打破するため新しい価値を生み出す。問題を真正面からそれだけ見るため集中と突破力はあるが、多少盲目的過激的になりがち。アクセル。発展型。狩猟的。

あくまでこの二つのバランスが重要であって
こういうバランスが必要なことは、
ある程度の冷静なコントロールがないと
極端にふれすぎてしまう。
よく議論で使われるAかBかという二元論ではなくて
AとBの程よいバランスが重要なんだと思う。

保守が強すぎて変わろうとする考えを排除するのも
革新が強すぎて強引に物事を壊して変えていくのも
僕にはアンバランスに見える。

つまり、世の中どちらかが力を持てばうまくいくってほど
単純じゃないと思っている。
社会全体として協調しあって、
やっていかないと次のステージは見えてこないと思う。

ただ、バランスをとるには
今の大きな権力であり経験も豊かで人を動かしやすい立場の人の方が
うまくいくと思うので、
保守がバランスを取りつつ、
状況を変えるといいと思う。

そんなのできっこない、単なる理想論だっていうかもしれないけど、
日本がお金お金しすぎる前は、
こういうの保守の人きちんとできてたみたいで、
自分からその座を譲るって言うことはよくあったみたいなんよ。

状況を比較的冷静に見る余裕のある保守が
革新のように盲目的になってしまうのは問題だなぁと。

ではそういう状況下ではどうしたらいいか。
革新が冷静に物事を見てバランスをとりつつ変えるしかないかなと考えます。
革新というより、保守じゃない人全員という方がいいね。
あ、保守の中でも冷静にいられる人も取り込まないとね。

という前段階の思考をぐるぐる回して
その結果でてきた考えだけを書いてしまいました。
ただ、革新を応援しつつも、
どこかで保守に少し期待を抱いている結果
最後の「譲る」という言葉になったんだと思う。

自分の中でそれが当たり前になってしまって
それを説明しなかったのは
問題だなぁと思った。

ありがとう。

ittadao さんのコメント...

で、書き忘れてたけど、
何が言いたかったっていうと
組織も個人も何もかも
おんなじ風にきちんとコントロールしたいなぁということ。