2009年2月18日水曜日

ルールに残ることと残らないこと

実は、UCLAの学生はちょくちょく死亡している。l

僕が聞いたのは、
2週間前くらいに化学系の学生が一人で実験していて、
薬品を自分でかぶってしまった。
その結果、全身大やけどで死んだ。

それ以来、UCLAの安全管理が急に厳しくなったらしい。
薬品の使用だけでなく、
ガスの管理や放射線の使用時間とか、
何から何まで厳しくなった。
きっとアメリカの得意なマニュアルも分厚くなったことだろう。

最近の日本の研究室も何から何まで厳しくしてしまっているのを思い出した。

厳しくすると、管理する側は安心するけれど、
使用する側はすごく使い勝手が悪くなる。
慣れているやり方でできないと、ちょっとしたところで不便を感じる。

UCLAは自由に研究している感じがあるけど、
これでちょっと自由がなくなったんだろうなと思った。
ただ、こうしていろんな人がいてもうまくやっていくルールが作られていくわけだ。

一方、街中のレストランで、
男が男にナイフで襲いかかったところ、
襲われた男がマーシャルアーツで襲い掛かるナイフを払いのけた。
そのナイフは周りに飛んでいって、
近くにいたUCLAの女性に刺さって、女性は死んだ。

自分を守るためには力をつけたり技術を身につければいい。
でも、自分を守った結果、周りを傷つけることになるんだったら
どうすればいいんだろう。

もちろんそんな事態にならないようにすればいいんだろうけど、
ここはアメリカ。

言論の自由が本当の意味で守られている国だから、
言いたいことは言わないと意見がないことになってしまう。
自分の意見を通すには
どれだけ大きな声で言うかが結構重要な気がする。

そんな場所にいると意見がぶつかることは仕方がない。
そのぶつかった後の処理の仕方が重要なんだと思う。
もしくは、ぶつけ方が重要なんだと思う。

こっちは死者がでたからといって
発言をこれから規制されるということにはならなかった。

発言の規制は思想の弾圧につながりかねないからだろうか。

同じ死でも世の中に影響を与えた死と
影響を与えなかった死。
僕はルールができなかったかもしれないけど、
後者の死をしっかり考える必要があると思う。

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