2009年4月27日月曜日

何でもできるようになりたい?

アメリカに来る前と来てからの情報を総合すると、
アメリカの人は何事も分けて考える癖があるような気がする。

例えば、すごく勉強ができる人がいても
「あいつはすごいね。でも、運動では僕のほうがすごいよ。」
という風になる。
日本人だと、勉強とか運動ができるってだけで、
人格まですごいとか考えてしまう人が多い。

例えば、通勤に一駅歩くことにしているという風な日本人は
通勤に運動というものをくっつけている。
アメリカの人だと、通勤は車とかバスで行って、
運動はジムにいくという風になる。

例えば、教育をする教授もいれば、研究をする教授もいるというのがアメリカで、
教育も研究もするのが日本。

・・・・
数えだしたら、沢山あるけど、
とにかくアメリカはやることの目的はシンプルにひとつに絞っている。
一方、日本は一粒で二度おいしい的なやり方をとる。

これって、アメリカは集中することが得意で、
日本は並行することが得意ということかもしれない。

どっちがいいということではないけど、
自分が得意な点を認識しておくということは
他人と比較するときに役立つと思う。

P.S.
日本人の並行することがいきすぎたのが、
何でもできる人になりたい。とか何でもできるドラえもんがほしいってなるんだと思う。
その理想に近い人って器用貧乏って呼ばれますよね。
自分の強みひとつでいいから作ったほうがいいと思います。

2 件のコメント:

Moemoe さんのコメント...

日本といえば、総合職ですからね。色々できるようになってなんぼ、と思われてる節があります。

その理由はですが、「アジア系の人は、対象を切り分けたくなくて、対象を全体で捉えたい傾向があるから」ではないでしょうか。昔、本で読みました。

ittadao さんのコメント...

> MOEMOEさん
なるほど、そういう風に考えられるわけですね。僕も保育園のころナンデモマン(勝手に名づけていました)になりたいって思っていました。

全体で捕らえるというのは総合的な判断ができるという強みがありますが、突き進むには物足りない。分割して捕らえるというのは、突き進むにはいいけど、やりすぎたり間違った方向に進んでしまう嫌いがある。ということでしょうね。

たぶん、経済活動がゆっくりの間は全体を網羅しているって言うのはかなりの強みだったのだと思います。ただ、あまりにも急速に変化すると全体を網羅したところで、また必要な能力が変わってしまい追いつけないのかと。

ただ、全体を網羅している力が必要となる時代が来る様な気はします。こういうのはいつもバランスで、今盛り上がっている力は行き過ぎている部分があるでしょうから。揺り戻しは必ず来ます。