アメリカは自由の国という風に
よく言われてきましたが、
なるほどーって思いました。
英語っていうのを考えていて、
動物的だなって思ったときのことです。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/02/blog-post_3347.html
アメリカはお互いに会話するために
全力だったということを思ったわけです。
そこから発展して、
周りには知らない人だらけで
お互いに文化が違いすぎる。
長老みたいな人たちが話し合っても意見が折り合わないし、
上に立った人はそれを単一にまとめきれるわけもなく
結果として自由になったんだと思いました。
だから、自由があるわけですので、
あなたの意見を言ってもいいし
私の意見を言ってもいい。
だから、私はあなたのことが嫌いであってもいいし、
あなたはわたしのことを嫌いであってもいい。
私はあなたのことが好きであってもいいし、
あなたはわたしのことを好きであってもいい。
こういうことを続けていくと、
私は私であなたにとやかく言われたくないっていう風になりますね。
そうすると、独立戦争が起こるわけです。
そして、そういうのが高じると、
人種差別も正当化されてしまうわけです。
正当化された人種差別には自由を持って立ち向かうわけです。
そうすると、南北戦争が起こります。
あの国が悪い、あの国がいいということをやっていると、
世界大戦や冷戦、朝鮮戦争にベトナム戦争、湾岸戦争・・・と
どんどん戦争が起こるわけです。
ルールによって国内での出来事は納めているけど、
世界に対するアメリカ自分たちの自由の上に定めたルールがないために、
アメリカという国は自由を振りかざして正義を作ります。
自由だから自分たちがルールなわけですね。
自分たちが作ったルールで今こけようとしていますが、
それをどういう風に処理するかは見ものだと思います。
P.S.
これを逆に日本に当てはめてみると、
日本は単一民族(正確には違うけど)だから、
上の人がきちんとまとめやすいんでしょうね。
長老たちが集まると、じゃあ、そうしようってなりますもんね。
そうすると、自由は減って没個性になるわけです。
最近の風潮はいろんな文化が入ってきて
それを受け入れる余裕のある人たちから
個性的になっていって、没個性の社会にぶつかっているんだと思います。
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