2009年6月10日水曜日

自分で選ぶ

アメリカは良くも悪くも自己責任が重要になるなと思う。

自由の裏に存在する義務ということはよくあるけど、
義務とかそういうものでもない気がする。
自分のみは自分で守るとかそういう部類の考え方だと思う。

とにかく身の回りにあるものや情報は
信用ならないものが本当に多いから
自分で選ばないといけない。

製作者の側の問題ということはやはりあるにはあるんだけど、
そんなの多民族国家の統率の取れない国では
足並みをそろえることのほうが不可能だ。

ではどうするか。
世の中には良いものも悪いものもきちんとそろえてあるから、
消費する人がきちんと選んで使ってねということです。

例えば、
アメリカの食品は農薬付けだったり食品添加物が極端に多いものと
そういうものを一切使っていない食品に分かれていたりします。
どちらを選ぶのも個人の自由です。

国が認可している食品添加物は安全だと考えることもできますし、
その認可がものすごくゆるい基準で行われていると考えている人もいます。

大統領がもっともっと国民が消費を加速することを励行していたかと思えば、
そのために経済が破綻してしまうこともあります。
そういうことをしたら経済が破綻するのは目に見えていたようです。

あげだせばきりがないです。

どれが正しくてどれが間違っているなんてことは
正直どの立場・角度から見るかによって変わるのですから、
絶対的にということはほとんどありません。
ということは、ある人から見れば良いことも
別の人から見れば良くないんです。

つまり、自分以外の人の判断というものは
あまり当てにならないし、信用ならないということになります。
他人の判断に従って失敗しても
そんなこと文句言える筋合いではありません。

だから、アメリカでは自分で判断して
選ぶということが重要になります。

ここでアメリカにある問題は
その選択するための情報が自由に手に入らないことですね。
その情報を手に入れるためにも
お金や人が重要になるのですから、
知らない人はなかなか知れないという悪循環になります。

これが格差社会なんだなぁと実感してしまいます。

P.S.
こういうことを感じて思ったことは
アメリカってインドに似ているということです。
インドには、すごく親切な人もいるし親切な人を装ってだまそうとする人もいます。
相手を信用するかしないかは自己責任ということを学びました。

アメリカも基本的には一緒、相手を信じるも信じないも個人の自由。
ただ、アメリカで多いのは対人というより対商品。
その点が難しいと思う。

人相手ならその人から感じ取れるものはあるのだけど、
商品となると製作者と販売者がわかれているので
相手のことがあまりわからないし
きれいにラッピングされてしまえば知識がなければ判断は不可能に近い。

これを考えてフランスの考え方がわからなくもないなって思った。
フランスの田舎は相手の顔の見える商品しかほとんど買わないとのこと。
なるほど、なるほど。

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