2009年7月20日月曜日

ここでおしまい。

いろいろLAでの経験をアップしようと思っていましたが、
すっかり臨場感が抜けてしまったので
やっぱり帰国後にアップすることはやめておきます。

ということで、このブログはここでおしまいです。

これからブログを更新するとしたら、
mixiの日記になると思います。
良かったら、マイミク申請してください。
tadao、男、29歳で、それっぽい人が出てきます。
で、その中の「いしだただし」というのが僕のことです。
よくわからなかったらコメントに書き込んでください。

それでは、またお会いできることを楽しみにしています。

2009年7月13日月曜日

帰国します

イエローストーンの旅行から帰ってきてからというもの
ようやく実験をまともにできるようになってきたので
怒涛のごとく最後の追い込みをしていました。
それなりにまとまってきた感じはします。

たった今までレポートを書いていましたが、
結局、終わりませんでした。
なんとかここに来た結果を形にまとめて論文にできそうです。

一方、その間ブログの更新はさっぱり。
ベントは盛りだくさんあったにもかかわらずです。
ここまで研究が追い込まれていなかったら
ほんと山のような更新ができたと思っています。
それだけに悔しいですね。

日本に帰って時間があれば更新しようと思います。

アメリカ滞在中にブログの更新数は275件でした。
僕にとってはこれは記録です。
そして、ブログの目標にかかげた友達100人計画ですが、
おそらく友達と呼んでよさそうな人は27人です。
英語は最近LA来る前よりも下手になったのではと感じています。

いよいよ、あと5時間でLAを出て日本に帰ります。

それにしても
いろいろありました。
いろいろやりました。
いろいろ考えました。

いろんな人にあったことで
日本とは違うものをいろいろ吸収できたと思います。
本当にお世話になりました。

また、LAに来ることがあれば連絡します。
そして、日本特に東京に来ることがあればぜひ連絡してください。

ということで、まだ更新はすると思いますが、
僕のLA生活はここでおしまいです。

楽しかったー!!

2009年7月6日月曜日

規格品vs.規格外品

日本が工業製品において世界に優位である理由のひとつに
規格にあった製品をかなりの高確率で生産することのできる技術
というのがあげられるのは間違いないだろう。

歩留まりを6シグマにするとかいう考え方があるけど、
100万個のうち不良品は3.4個に抑える
というものだから、どれだけすごいかということがわかる。

ほんと対したもんだと思う。

この考えは日本の社会に浸透していて
それは人という対象にも適応される。
日本でよいとされるルールやものさし(規格)に合うように
教育をして、全体としての底が高い位置に来るようにする。

ただ、日本の規格に合わない人は
おかしい、常識がないとされる。

その結果、日本の規格に合わない人は、
本当は力を持っていたとしても埋もれてしまうか、
日本にいられなくなり外に新天地を求めるという選択を強いられる。

僕はLAにきてすごいなぁと思う人に沢山であった。
そういう人たちにどうしてアメリカに来たのかと聞くと
日本では生きられないからアメリカに来たと
半分冗談で答えてくれた。

アメリカは全うであったり刺激的なことをきちんとアピールできれば
認めてもらえ、いろんな人たちが力を貸してくれる。
つまり、規格に合わないようなオリジナリティや個性が重要視される。
そのため、規格に合わないオリジナリティや個性が沢山あるから
時代を切り開くアイデアが生まれやすい。

もちろん、その一方で規格外の強い個性がない人たちは、
活躍の場を見出せず埋もれてしまうことになる。

日本では個性を認める教育とか答えのない問題に取り組む教育とか
いろいろやっているが、
ルールに疑問を抱いたりものさしでは計れない人を育てているんだと思う。
それって今の日本のよさを作っている根底にあるものと相反するものである気がする。

何かを得れば何かを失うという至極当然のことを念頭に
どうバランスをとっていくかが重要なんだと思う。

金融やコンサルが高給な理由

日本は技術立国だという割には
技術系の企業の給料は金融やコンサルタントに比べて芳しくない。
そして、こうなった理由がなんとなくわかった(気がする)。

まず大前提に、アメリカが世界の経済を動かしているという上で
考えた妄想です。

アメリカでは差別がなく自由で平等な国と建前上いってはいるが、
やはり白人が優位に立てるように社会を作ろうとする力があり
そのためには資本主義国で白人がお金を沢山稼げるようにする必要があった。

そこで、白人はお金を沢山稼げる仕事とあまり稼げない仕事を作ることにした。
体を動かせばできる仕事(掃除・配送・飲食など人間の生活に最も必要とされる仕事)より
頭を動かせばできる仕事をするとお金が沢山入ってくるようにした。
その理由は、頭を動かす仕事の方がある程度の教養が必要となるため
経済的な参入障壁を作ることができるからだ。
これによりブルーカラーとホワイトカラーができたのだと思う。

しかし、教養をつければお金を沢山稼げることに気づいた人は
教養を身につけるようにお金を使うようになり、
その参入障壁は意味を成さなくなった。

これでは白人の優位性が損なわれるということで
頭を動かせばできる仕事のうち、
マニュアル化できることはマニュアル化して、
マニュアルのある仕事とマニュアルのない仕事に分けた。
そして、ある程度の教養ではマニュアルのある仕事しかできないようにした。

さらに参入障壁を高くするために、
専門的な知識がないとできない仕事を高給にした。
専門的な知識を得るためには大学を卒業する必要があり
アメリカでは大学で得た学位が職業につく資格の様な意味合いを持たせた。

おそらく、大学を卒業するだけの経済力をもつほとんどが白人になると考えたのだろう。
そして、当時はそれがある程度正しかったのではないだろうか。

しかし、昔発展途上国だった国も徐々に経済的に豊かになり
大学を卒業するだけの経済力を持つようになって来た。
そうすると、設定してあった参入障壁がまた意味を成さなくなる。

そのため、更なる差別化が必要となり
言葉が堪能でないといけないという壁を設けることで
数式である程度会話ができる科学技術から
医学、法律、経済、マネージメントを優遇することにした。
こうなると、言葉の壁を越えない限り、白人が優位に立てる。

しかし、現在アメリカに育った有色人が言葉の壁も越え始めている。
近いうちに、白人以外の人種もある程度言葉の壁を越え始めるのではないだろうか。
そして、この言葉の壁が参入障壁として機能しなくなったとき
どうなるのだろうと思ってしまう。
まぁ、白人以外にとって参入障壁となるものを考えれば
どんな職種が有利になるかわかるのかもしれない。

と、いろいろと書いたけれど、
Googleではマネージャーも技術者もそれぞれの道があって
それぞれの道で同じように昇進していけるらしい。

まぁ、企業の人的資産の効率を考えると、
それぞれ向き不向きがあって当然で、
技術者をやめてマネージャーにならないと昇進できない
というようでは、適材適所なんてできないだろうからね。

帰国まであと一週間

タイトルどおり帰国まで後ちょうど1週間となりました。

アパートの退去手続きや
電気・ガス・電話・インターネットの解約手続きなども済みました。
送別会もしてもらったし
あとは、パッキングと滞在中に購入したものをいろんな人にあげるということが残っています。

今日、結構仲良くした韓国人の友達に
ほしいものあったらあげるよーといっていろいろあげました。
でも、まだ残っているなぁということで、
明日からもいろんな人に声をかけようと思っています。

なにせ、半年しか使わずにすてるというのは
もったいないですからねぇ。

ここを見ている人で何があるか見てみたいという人は
遠慮なくいってくださいね。
ほしいものがあれば、あげますので。
(といっても、半年とわかっていたのでたいしたものは買っていません)

さて、後やることといえば
残りの時間で研究の詰めをすることと
日本に帰ってからの仕事をすぐに始められるようにすること
の二つが残っています。

それさえしてしまえば、後はのんびり生活できるかなと。
といっても、結構ぎりぎりな感じですが。
ま、なるようになるでしょう。

2009年7月4日土曜日

格差社会

アメリカでの日常生活には
あまりお金がかからないということを言う人が
ちらほらといた。

最初はお金のない人がいるからそういう人が生活できるように
生活必需品は安いのだろうと理解していた。
でも、お金のない人のために安く設定してあるというわけではない気がしてきた。

アメリカは不法滞在者で肉体労働をする人から超金持ちまで
いろんな経済感覚の人がいる国である。
そのため、何か物を生産するに当たっては安い人件費で雇える人を使うことで
製品を生産するコストを安く押さえることができる。

これが生活必需品が安い理由ではないだろうか。

では、このように経済的格差があることで不満が多いかというと
そうでもないらしい。

日本のように全員が全員高い教育水準を誇っていないため
それまでにこんなに勉強したのにどうして肉体労働をしないといけないんだ
という風な考えに至らないためらしい。

だから、肉体労働をしている人はそれに合わせた生活
研究をしている人はそれに合わせた生活
お金持ちはそれに合わせた生活にそれなりに満足しているとのこと。
もし、それに不満があればそこから抜け出すために行動をすればいいという感じなのだろう。

全員が高い教育水準を持っていれば
お互いにまともな判断ができたり、きちんと話し合いができたりと、良い点は沢山あると思う。
でも、みんなが高い教育水準を持つからこそ生まれる不満は確かに問題なのかもしれない。
この不満のために、活き活きと生活していない人が多いのかもしれない。

これをなくすためには、結局高い教育水準を持っている人たちが
自分たちの気持ちを満足させるための人たちが必要になるのかもしれない。
(江戸時代の階級制度じゃないけどね・・・
何か良い解決方法はあるんだろうか。)

アメリカは50の国の集まり

以前の少し書いたけど、
アメリカをアメリカと捉えて他の国と比較するのは
ちょっと無理がある気がする。

というのはよくいわれることだけど、
本当にそのとおりなんだと思う。
GDPを見てるとアメリカ50州の各州が
他国と比較して上位に食い込んできている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Comparison_between_U.S._states_and_countries_nominal_GDP

そして、国土も人口も自然も
他国と比較してもその馬鹿でかさは目を見張るものがある。

これだけのものを一国がもっているとなると
ある意味、何でもやりたいことをやりたいようにできる。
法律による規制も50の州がそれぞれの法律を持っているために
どこかの州に行けば問題なく法律の網をかいくぐったこともできてしまいます。

法律も自分で選べる、そして規制も基本的にゆるい、
場所も環境も人材もある。
後はお金さえあれば、なんでもできる。
規制が入るとしたら権力者やお金持ちの都合の良い環境づくりのためくらい。

だから、いろんな人が前だけを向いてやりたいことをやって
自分の能力を開花させるのだと思います。

という状況を考えると、
国同士の比較を行うにあたって、
アメリカというと50の国の集まりと他国の比較を行っているといってもおかしくないです。

そりゃ、どの分野においても普通は比較できないはずです。
なにせ、50の国がいろんな分野において世界をリードしようとしているわけですから。
そうすると、アメリカはすごいという評価が出てきます。

でもいったん、カリフォルニア州とかイリノイ州とか
そういう分解を行ってしまえば別に過剰な評価をし過ぎなくていいのかもしれない。

で、そんなアメリカ経済を支えているカリフォルニア州(GDPアメリカ1位、世界7位)ですが、
経営破たんしています。
でも、そこまで住民は悲壮感がありません。

何がそう楽天的にさせるのでしょうか。
カリフォルニアがだめになれば他に行けばいいやという感じなのでしょうか?
その辺はまだまだ良くわかりません。

これは実際にそこで給料をもらって生活をしてはじめてわかるのかもしれませんね。

アメリカ人のプレゼン能力

アメリカ人はプレゼン能力が高いと
日本から来た人は口をそろえていいます。
僕もそういうことを口にしている一人ですが、
その理由が良くわかりました。


どうしてプレゼン能力が高いのかと人に聞いてみると、
アメリカに来た日本人からは
アメリカでは教育の一環でプレゼンをする機会を沢山用意してある
という答えが返ってきます。


一方、アメリカであった日本人研究者に聞くと
アメリカでは自分から教授にコンタクトを取らないと相手にされない
という答えが返ってきます。


今までこういう答えを聞いても
「ふーん、そんなもんかなぁ。それなら僕の研究室もそうだけどなぁ」
と思っていたのですが
ようやくアメリカであった日本人研究者の言葉が理解できました。


アメリカ人はプレゼンをせざるを得ない状況にいるのです。


例えば、日本の場合研究室に配属されると
先生から指導を受けたり先輩に助けてもらったりしながら
研究を進めていきます。

自分が何もしなかったとすると、
どうして何もしないんだ、卒業させないぞといいつつも
しっかり世話を焼いてくれます。

一方、アメリカの場合研究室に配属されると
自分から動かなくてはなりません。
やりたい研究をするために教授にミーティングをお願いしたり、
やりたい実験をするためにできる人を見つけてコンタクトを取ったり、
英語を勉強するための授業を探すためにいろんな人に話したり、
自分が動けば回りは助けてくれますが、
何もやらなければ何もしてくれません。

そのため、自分がやりたいことをするために
プレゼンをするというのは必須なことなのです。
そして、相手を巻き込むことになると
相手がポジティブになるくらいのプレゼンをしないといけないわけです。

これを考えると、
日本はものすごく恵まれた環境です。

言わなくても察する文化やお互いの間に流れる常識というものがあります。
だから、アピールをしなくても快適に過ごすことができます。

おそらく、顧客満足(CS)を追求した結果生まれたものでしょうが、
最近のホテルやレストランのサービスなんてものすごいものを感じます。

でもこういうのって、
世界標準から言うと行き過ぎたもので
日本人が世界に出たときアピールが下手だといわれる原因の一つを
作っているのかもしれません。
(もちろんこういう素晴らしいサービスを否定しているのではないです)

最高の環境を作れば、
人は育つと考えることは多いですが、
一概にそうとも言えないなと思います。

P.S.
O大からT大に移ったときの設備のすごさに感動した一方で
自分で手を動かすことの少ないことに
なぜかマイナスも感じた感覚がクリアになった気がしました。

この感覚は便利になることで今まで考えていたことと違うことを考えるようになるということですね。
実験のための設備を自分で組み立てることは、
一から勉強するのにいいですし、そこから見つかる発見も多いです。
でも、信頼性の高い実験やより先端の研究結果を出すためには最新の設備が大事になります。

歩いて異国をめぐるのと車で異国をめぐるのと同じような感じで
見える景色が違うのでしょう。

2009年7月3日金曜日

アメリカという国

アメリカに少し住んで
アメリカを少し旅して思うことがある。

それは、アメリカにはいろんな顔があるということである。

いろんな国からいろんな理由で移り住んできた人がいる。
そこにいる人の数だけ文化がある。
50州という50の国に匹敵するほどの面積を持つために、
世界中に散らばった自然を一国に集めた感じがする。
田舎も都会も存在して、
教育を受けた人も受けていない人もいる。

まったく違うものが、同じ国に一まとめに存在している。

そんな国のことを考えると
この国にいる人はいろんな種類のいろんな大きさの刺激を受けていることになる。
その刺激には死にいたる争いもあれば、気づかないような小さな違和感もある。

そりゃ、いろんな考えが生まれるわけです。
そして、その中には世界を変える素晴らしい考えも含まれるわけです。
その代わり、世界を破壊する考えも含まれるわけです。
そしてそういった考えからいろいろなことが生まれてきます。
良いことも悪いことも・・・。

でも、アメリカは外に向けて悪いことは宣伝しません。
もちろん、良いことを宣伝するわけです。

その結果、アメリカはすごい国だという錯覚を
いろんな国に植えつけることができるわけです。

ただ、こういう国に住む人は
刺激を発信できなければ存在に気づかれない可能性があります。
だから、みんな自己主張をする(せざるを得ない)のでしょうし、
周りと違った存在でいることができるのだと思います。

P.S.
アメリカではどんなに個性的な人がいても
あー、そういう人いるねって感じなのかなと思います。
あくまで、One of themなのでしょう。

P.S.2
アメリカにはあまりにも多くの条件がありすぎるので
期してか期せずにかはわかりませんが
アメリカ自体がひとつの大きな実験施設に見えてくるのは僕だけでしょうか。
そうすると、良いことも悪いことも実験のひとつと考えている人がいてもおかしくないと思います。

そして、そう考えられる人は
アメリカという国の中やその国を使っていろんな実験をしているのかもしれませんね。

人がものを考えるためには

人間がものを考えなくするためには
二つの方法があると思う。

ひとつはすべての感覚を取り除いてしまうこと
もうひとつはすべての感覚に刺激を与えすぎること。

感覚を取り除いてしまうということは
何も感じなくなるということである。

仮にこういう状況を考えてみよう。
真っ暗な空間で、
音もなく静かで、
何も触れるものがなく、
味を感じることも泣く
匂いもない。

このような状況だと人は何を考えるのだろう。

今の状況からそういう状況に投げ込まれれば
最初は何とか抜け出そうとするだろうが
そのうち何もしなくなるのではないだろうか。
そして、生まれた直後からそのようなところに置かれれば
何も考えられないのではないだろうか。

考えられるとすれば、
それは自分という存在についてだけだと思う。

つまり、人の思考は環境に大いに左右されるということだと思う。
人は環境に順応、環境を良くするために頭を使うのだろう。
ということは、人は遺伝でその人の能力が決まるというよりは、
環境によって与えられた刺激でその人の能力が決まってくる気がする。
もちろん、与えられた刺激に対してどう成長するかは遺伝が大きな要因になるだろうけど。

さてもうひとつの、感覚に刺激を与えすぎるというのはどうだろう。
これは、感覚に常に刺激を与えすぎるため
刺激がある状態が普通になってしまう。

なので、その刺激に対してそれなりに大きな刺激がこないと
感覚は反応することができなくなり
何も刺激がないのと同じになってしまう。

これは、コンサートに行ったときのことを考えればよくわかる。
ライブ会場に行って大きな音をしばらくの間聞いてみよう。
すると、最初は爆音に聞こえた音も徐々に普通になるだろう。
そして、その中で友達と会話しようとすると、
小さい声ではまったく話ができない。
大きな声で話したとしてもかろうじて会話ができる程度だろう。

これと同じで最初は大きな刺激があると、
刺激を大きな刺激と捕らえるため、
人は頭をフルに使って考えるのだと思うけど、
それがいったん普通になってしまうと
同じ刺激でも考えなくなってしまう。

おそらく、人がより大きな刺激を求めるようになるのは
こういう理由からだと思う。

こういうことを考えると、
人は普段小さな刺激を受けていて
時々大きな刺激を受ける
というのが考えるためにはいいのだろうなと思う。

アメリカにおける鉄道再開発

今日、友達と話してて知った事だけど、
今アメリカを東西に横切る大陸横断鉄道を建設するという計画が
立ち上がっているらしい。
新幹線みたいな超特急で横断するらしい。
(Webを見る限りじゃ、大陸横断ではなく、主要都市をつなぐということらしい。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090417/amr0904170049001-n1.htm

大陸横断鉄道というと
以前はものすごく騒がれたものだけど、
現在は見る影もない。

この大陸横断鉄道が使われなくなった理由は
アメリカの自動車会社(GM, Ford, クライスラー)が
自らの利益を上げるために
大陸横断鉄道を買い取ったためらしい。

さすがアメリカだなぁ。
やることがえぐいです。
たぶん、バックには石油資本がついていたのでしょうけど。

そして今、どうして鉄道が今なぜ必要になったのでしょうか?
単に自動車会社の力が弱まったと理由なのでしょうか?

2009年7月1日水曜日

Google


一昨日Googleに行ってきたので、
とりあえずイベントごとは一段落で
後は研究に集中して研究も一段落させてしまおうと思っています。

と、こちらもいろんなところをプッシュして回って
それなりに進み始めているので
うまくいけば今やっていることが製品化するための
最後のワンピースとできるかもしれません。

ということで、さっそくGoogleのことについて書いてみようと思います。
Googleに行って感じたことを端的に書くと、
特に真新しいことはありませんでした。

こういうとがっかりしたように思われるかもしれませんが、
逆で大きな収穫だなと思いました。
僕の中で、Googleという企業は、
ある意味、神格化されていたからです。

多くの日本人(僕も含めて)は何かにつけて欧米の文化ややっていることが特別ですごいとしがちですが、
世界で近年急成長してトップにまで上り詰めた企業がやっていることは
こうあればいいなということを普通にやっているということがわかったのです。

特に、優秀な人材が不安を抱かずに楽しんで最高の仕事ができるような
配慮がいたるところでされています。

よく報道されるGoogleの特徴は社内にレクレーションがあったり
食堂や売店が無料であったりする
ということですが、それはそのとおりでした。
僕がGoogleの概観を見た第一印象は大きな娯楽施設というもので
間違っていないと思います。

外には大きな広場と川が流れていたりするし、
お楽しみ施設もいろいろとあるし、
何より建物の数が30くらいあるということで
何でもあるのだと思います。

そして、社員自身がやりたいことをできるようになっているし、
労働時間は自分で本当に自由に設定してもいいらしいし、
労働時間の20%は自分の好きなことに使っていいし、
アメリカなので当然生活もしっかり楽しめるし、
きちんと働いていれば首になる心配も極力取り除いてあるし
業界を築きあげた人たちが普通に同じように仕事をしているし、
そういう人たちと一緒にプロジェクトをすることもできるし・・・。

と、後ろ向きになる要素を取り除き、
その上で前を向いて走る最高の環境づくりがなされているわけです。
後ろを見ずに前を向いて最高の仲間と走れれば怖いものなしですね。

そして、プロジェクトをまとめる人たちは
そうやって最高の状況で上がってきた結果を
どのようにまとめるかが問われるところです。

つまり、日本のように指揮命令系統が上→下というトップダウン的ではなく
下→上というボトムアップ的になっているわけです。
だから、最後に目標の形にまとめるわけで、
出来上がるものは目標を達成できているようになるのです。
これはやろうと思ってもなかなかできないですね。

なにより、下への信頼感がなければやってられない。
だから、採用の段階で下に入ってくる人はしっかり見ます。
しかも、見るのは人事ではなく現場のエンジニアたち。
人事は紙仕事するだけらしいです。
だから、本当に必要とされる人材を採用することができるんですね。
日本の企業はお客様は神様だといっているけど、
仮に神様だとして、その神様に与えるサービスの質を上げるためには
社員を良い状況においておかないといけないんですよね。
P.S.
昨日書きながら寝てしまったので、
何を後書きたかったのかわからなくなってしまいました。

2009年6月28日日曜日

荷物の発送

少しずつ帰国の準備をしている。

友達から借りていたものを返したり
部屋の棚に収まっていたものをすべて出してみたり、
必要かなと思ってためたごみを捨てたり
研究室からダンボールを持ってきたり
それなりに順調な感じだ。

友達の引越し屋さんからは
荷物が少なければ日通が安いと聞いていたけど、
調べてみるとクロネコヤマトとあんまり変わらない感じがするし、
帰って割高かもしれないとわかったので
友達に日本スーパーに連れて行ってもらうついでに
クロネコヤマトで発送してしまおうと思った。

荷物はそこまで増えなかったようで
クロネコヤマトで荷物を送ると
スーツケースにつめるものがなくなるかなぁと
へんな心配をしたりしている。

そして、バックパックも大きなものを用意しているので
スーツケースにバックパックをつめることになるのかなぁなんて。

ま、時間もないしあまり考えすぎずに行動しようと思う。

知らない人にHappy birthday!

送別会の帰り道で友達と一緒に帰っていると
道すがらカップルに絡まれた。

どうやら女の子の誕生日だったらしく
私の誕生日、私の誕生日と繰り返して
いろんな人に絡んでいるようだった。

でも、そういう知らない人の絡みに対して
みんなでおめでとうといってあげるころは
日本ではないんだろうなって思った。
日本ではそういうのは変な人として避けそう。
そう思うと、少し寂しい。

おせっかい文化がなかなか難しくなってしまった
日本では知らない人同士の敷居が異常に高い。
おんなじ日本人でおんなじくらいの年齢でも
お互いにほとんど交わらない。

こういうのは機会損失だなぁと思う。
同族意識をもってもっと交わってもいいものだと思うけど。

ちなみに、
そのカップルは僕らの後に
別のカップルを見つけて
キャーキャー騒いでいた。

送別会

昨日、LAでお世話になったメンバーに
送別会をしてもらった。
6ヶ月という短い期間だったけど
いろんなことがあったなぁとしみじみ。

LAに来て何が印象的かということを聞かれて
ぱっと出てこない自分にもどかしさを覚えたけど
LAにも日本があったとか、
LAはアジアだとか、
そういう感じのことを話しておいた。

実際何が僕にとってLAで一番印象的かと聞かれると
いろいろあったのでなかなか難しい。

一つ一つの話を順番にしていけば
いろいろと出て来るんだろうけど、
漠然と6ヶ月と考えると
何も出てこなかった。

きっと、このブログを見返したりすれば
いろんなものがよみがえってくると思う。

もうすぐ日本なんだなぁと思うと
何か遣り残しはあるかなって探してしまう。

あった。
研究が終わっていない。

そろそろ研究室に行くとしますか。

P.S.
プレゼントにみんなのメッセージカードとUCLAと書いてあるトレーナーをもらった。
寄せ書き風なものは今までもらったことがなかったので
かけがえのない思い出になりそうだ。

P.S.2
といっても、あと2週間ほどLAにいます。

2009年6月27日土曜日

研究は完結するのか?

あと2週間で研究結果をそれなりな形に昇華しないといけない
ということになっているのですが、
いまだに実験装置のライセンスを取得することができていません。

こっちに来てからというもの
ずーっとライセンスを取るために奔走してきたのですが、
人のスケジュールや装置のメンテナンス、装置がまだ導入されていない
などといった理由で
なかなかこちらが使いたい装置にまでたどり着けずにいました。

そんな中、ようやく使いたい装置のライセンスを取得できそうなところまでやってきました
そして、今まで導入されなかった装置もようやく手元に届くかもしれないという情報が入り
故障していた装置もようやく復帰です。

不幸中の幸いという感じでしょうか、
ラスト一週間にすべての環境がそろうかもしれません。

果たして、この研究がうまくいくかはわかりませんが、
できる限りのことをして帰りたいと思います。

P.S.
あ、今なんとなく思いましたが、
物が燃えるには酸素と燃えるものと高温が必要ですが、
行動するには時間と行動の対象と情熱が必要なのかもしれませんね。

酸素と時間は身の回りに等しくあるもので、
燃えるものと行動の対象はそれぞれが見つけるもので、
高温と情熱はエネルギーという点で
共通点があります。

2009年6月26日金曜日

学生寮

昨日、お昼ご飯を友達と食べようとしたら
学生寮で食べるけど一緒に来るかと誘われたので
行ってみた。

学生寮に行ってみると
今まで知り合った人とあえたりと
なかなかこのステイを振り返るにはいい時間をすごすことができた。
みんなこうやって生活しているのかという感じで面白かった。

学生寮は1クオーターで1600ドルくらいという
超激安設定になっている。
その代わりに、月50時間?程度の学生寮の運営に関する仕事をしないといけない。
もちろん部屋はルームメイトとシェアではあるが、
食事込みでこの値段は破格だと思う。
ただ、食事込みなので部屋にはキッチンがついてないらしい。

さらに、食事を食堂でとるので
いろんな人との交流が図れそうで楽しげである。

日本の一人暮らしというものに慣れきってしまっていると
やっぱり一人がいいと思ってしまうかもしれないけど、
こういう集団生活は人と人との関係を築くことができるので
将来的にも有用なのかなと思う。

といいつつも、
僕は高級アパートで一人暮らしをしてしまったわけだけど。
UCLAに来る人がいればぜひ寮を活用することを勧めたい。

P.S.
食事は日替わりですが、味は・・・です。
食べれないことはまったくないので、その辺はご安心を。

マイケルジャクソンの死

昨日、マイケルジャクソンが死んだ。

知らない人のほうが少ないといえそうな死だったので
昨日、UCLAから帰る道では
UCLA医療センターの前は報道の車やキャスター、
マイケルジャクソンの死を悔やむ人たちでごった返していた。

歩道は自発的に歩くのではなく、
群れの中に身を任せるような感じで移動していました。
ロウソクに火をともしたり、ポスターを掲げたりした人たちの行脚です。
時々とまってはみんなでマイケルジャクソンのヒット曲を合唱するという感じでした。

さらに報道陣は、そういった人の群れを移したり、
UCLA医療センター前で陣取ってインタビューをしたりと
あたりは自然発生的にお祭り騒ぎになっていました。
(喜ぶという行為からは正反対な出来事なのですが)

僕は思います。
マイケルジャクソンは多くの人に影響を方得てきました。
だから、彼の死は確かに惜しむところがあるでしょう。
でも、彼の光にかき消されてきた無数の才能にとっては
これからチャンスなのだと思います。

kingがいなくなるということは
新しい時代の幕開けなのです。
若い世代にとってチャンスのときです。

金融不況も含めて、
いろんなところでkingがその座から下りています。
こういうときはネガティブな感情になったりしがちですが、
こういうときに生まれるチャンスを見逃さずに
掴み取って生きたいものです。

といいつつも、
僕の掴めるチャンスが目の前にあるのか
よくわかっていませんが
しっかり見極めていきたいと思います。

2009年6月25日木曜日

Google訪問

来週月曜日Googleに見学に行ってきます。
世界でも有数の先見の明のある企業で
さらにクリエイティビティを追求している企業なので
今からものすごく楽しみになっています。

その考え方やシステムについて
少しでも引き出して勉強してこようと思います。

他にもAppleやベンチャー企業も訪れて
いろんなことを体験してきたいと思っていたのですが、
研究との兼ね合いから今回は一社に絞って
できるだけふかーく勉強することにしました。

今回は、以前とは違ってしっかり予習もしていこうと思います。
今までは予習をすると種明かしをした手品を見に行く気分で楽しくなかったですが、
Stanfordにいった際に意識が変わったので
しっかりお互いに価値のある時間をすごせるようにしたいと思います。

なにか知りたいことがあれば
かわりに聞いてくるかもしれませんので
なんなりといってくださいねー。

100mの違い

最近イラン人デモが連邦政府ビルのそばで激化しています。
夜遅くまで車のクラクションと大声が響いています。
理由はもちろん一人の女性が警察の威嚇射撃でなくなったからでしょう。

今までは週末デモだったものが
今では毎日デモになっています。

昨日は、そのなくなった女性の名前とイランの国旗を引っ張った飛行機が
上空を旋回していました。

デモに何百人の人と飛行機が出てくるっていうのは
日本にいては想像もつかない様子です。

そして、道路を隔ててわずか100mほど先の場所で
映画のプレミアが行われていました。
そこは、女性の黄色い声であふれています。
少しのぞいてみると、女性がうれしそうに
千切れそうなくらい首を縦に振って
喜んでいます。

わずか、100mでこれほどまで違うのか。
なんだか世界の縮図を見ているような気分になりました。

こういうのって、いつになっても埋まらないんでしょうね。

無事帰ってきました。

無事、イエローストーン&グランドティトンから帰ってきました。
この旅行もものすごく考えること吸収することが多くて
若干消化不良ではあります。

LAにいては見れないアメリカの一面を見ることができたので
これはいってよかったなぁと思います。

慣らし運転をしないとなかなかブログも書かなさそうなので
少しずつかけるところから書いていこうと思います。

2009年6月15日月曜日

イエローストーン&グランドティトン1週間

明日からイエローストーン&グランドティトンいってきます。
この週末は準備やらなにやらを楽しみました。

ガイドブックや人づてにはシーズンじゃないと聞いているのですが、
どうやら、残雪と春の景色がものすごくきれいな時期のようで
知る人ぞ知る絶景を堪能できそうです。

アメリカでやりたいことのひとつが明日からの1週間で実現します。

山あり谷ありですが
確実に僕のやりたいことが実現しています。
この調子でしっかり楽しんでこようと思います。
おそらく次のアップは旅行から帰ってきてからだと思います。

2009年6月12日金曜日

支援の仕方。

Las Vegasで勝てない理由
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/06/las-vegas.html
400万円の位置づけ
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/06/400.html
を受けて。

日本は世界に何の貢献もしていない
ということをいう勘違いをしている人がいるということを聞くけど、
その人たちの考えの根っこは日本が何をしているか知らないということと、
援助される国の人の見たこともない額の援助をするということによる
金銭感覚の問題があるのかもしれないと思った。

確かにODAでお金の支援をかなりの額しているんだろうけど、
ある事を行うためにある国にお金を渡してしまうと、
相手の金銭感覚を狂わせる可能性がある。

普段見ないくらいの額のお金を見たら
どんなにまともな感覚の持ち主でも感覚は来るってしまう。
このお金を懐に入れればとおもってピンはねし始めて
国民にはお金が行かない。

懐に入ったお金を守るために武装を始める。
お金を見せびらかして美人を囲む。
無駄に食べたことのない美食を食べる。
立派な建物を建てる。
・・・
まぁ、単なる想像でしかないの
で間違っていたら申し訳ないのだけれど
こういうことは起こりえなくない。

以前空港で日本に久し振りに帰るおばちゃんと話していたら
アメリカではサプリメントグミを支援している といって
一粒そのグミをくれたのを覚えている。

本当に必要なのは、
生きるための食料であり、水であり、住まいである。
そこに直結したもので支援すれば上のようなことは起こりにくいだろう。
だから、現在もしているそう一多必要なものの支援の割合を増やせば
掲げた支援目標をより効率的にできるのではないだろうか。

お金というのは便利だから使う人の意思次第でどうにでもなる。
だから、日本人は金銭的な援助を行うことが多いのだけど、
日本人が必要と考えるお金を援助してしまうと
お金を使う人は日本人と同じ金銭感覚を持ち得ないのだから、
それは金銭感覚を狂わせる可能性があることを意識する必要がある気がした。

お金の援助をするときは、
その結果をきちんと評価する必要があると思った。

年収400万円の位置づけ。

僕は田坂広志という人のメールマガジンをとって読んでいるのだが、
それを読んではっとさせられることがあったので、
ここに載せてみたい。

インターネットの世界に、
「グローバル・リッチ・リスト」と称するサイトがあります。

自分の年収を入力すると、自分が、いま、世界の63億人の中で、 
何番目に裕福な人間かを教えてくれるサイトです。

そして、このサイトは、
もし、年収4万ドルを入力するならば、
それが、現在の地球に生きる人々の中で、
上から3パーセント以内の豊かな人間であることを
教えてくれます。

これは2004年に書かれた文章ですが、
3パーセントが10パーセントにせいぜい変わるくらいでしょう。

で、日本の平均給料が500万円くらいだということを考えると、
日本って中流階級というよりは上流階級だってことがわかってきます。
そして、世の中には家も家族も衣服も食事も何も足りてない人がいることも
容易に想像できます。

たしかに、僕は旅行を通じてそういう人たちに会ってきた。
でも、それが当たり前とは思わずに
あくまで僕が当たり前でその人たちが経済的に貧しいのだと思っていた。

でも、そうではないことに気づいた。
僕は異常な環境にいる。
そして、世界ランキング的に見てお金持ちなのに
もっとお金もっとお金と考えている自分がいる。

お金持ちがよりお金持ちになるシステムというのは
間違っていないんだと思う。
世の中でお金はお金のあるところに
今この一瞬も集まっている。

そう考えると、今回の世界恐慌というのは
世界的ランキング的に見て小金もちな人たちが経済的に損失しただけで
世界的にはたいした出来事ではないのかもしれない。

Las Vegasで勝てない理由

以前、教授と話をしていて、
Las Vegasはお金儲けのシステムがしっかりしている
ということをいったときに
Las Vegasでなかなか勝てない理由を教えてくれた。
そして、なるほどと思った。

たぶん、Las Vegasでカジノに行く人は
娯楽のためにという人と一儲け使用という人
の二つに分けられると思う。

で、娯楽のためにと思っていっている人のうち
ほんの一握りがお金持ちということだと思う。
でも残りの人は余りお金がない。
まぁ、パチンコ屋さんに並んでいる人と似ているんじゃないかなと思う。
(僕はパチンコをしたことはないけど)

で、大体のパターンは
最初は負けてもいいやという小額で始めて
勝ったり負けたりしているうちに
少しずつ勝つということが多いような気がする。
後で思い返せば、あそこでやめておけばと思うことは
いろんな人にあることだと思う。

ここで、勝ってくると勝つ確率は同じなのに
これはいけるんじゃないかっていう気分になって
大きい金額をかけ始める。

大きい金額をかけ始めると
金銭感覚が自分の中で安心していられる額じゃないので
最初のころと同じように勝ったり負けたりする。
で、この段階では勝ち幅も負け幅も大きくなっているので
手持ちの掛け金が負けに耐えられずに
ゼロになってしまうんだと思う。

それに、躍起になって負けを取り返そうとして
自分の安心する範囲外のお金をかけ始めると
もうそれは悪循環でまた負けに耐えられなくなってしまう
というわけだ。

確率論的にいって期待値を考えると
ブラックジャック以外はやらないほうが良いらしいけど、
こういう心理って大いに影響している気がする。

自分の金銭感覚から一時的に逸脱してしまうということは
大きな金銭的マイナスにつながるんだと思う。

P.S.
これは宝くじで一等賞をとった人の末路が
破産とか出会ったりするというのと似ている気がする。
きっと、自分の感覚が狂ってしまうんだろうなぁ。

P.S.2
ビギナーズラックというのはそういう金銭感覚が狂う前にやめたり
掛け金を慎重に選ぶあたりから来ているのだと思う。
一山当てようというよりも娯楽を楽しむ気分でやったほうが
ずっと勝率は上がる気がする。

2009年6月11日木曜日

愛校心

今日はStanford祭り。

Stanfordの友達Kさんと話しをしていて、
アメリカの大学生が愛校心をもって
自分の大学の服やネクタイを使う気持ちが
少しわかった気がする。

なぜか。

アメリカの大学院は日本の大学院と違ってものすごく大変で
その生活の中に良くも悪くも苦楽が存在する。
そして、卒業をすることに達成感と誇りを覚え、
自分の母校に愛着を持つ体と思う。

考えてみれば、
日本って中学高校の部活動でしごかれた人は
それなりに部活動に愛着を覚えているし、
大学受験を苦労して乗り越えた人は
そのことを誇りにしている人は多い。

でも、大学に入ると
楽園だ、遊んでいいという変な風潮があるため
苦労することが極端に少なくなる。
そうすることで、バイトや遊びに精を出して、
バイトや遊びの部分に誇りを持つ人が多い。

翻って、一時期話題になった愛国心。
物質的に豊かなだけで、
教育はゆるゆるで
基本的に親が敷いたレールを歩いて育つ。
教えないといけないことも教えられない。
必要なことで学生を叱ると親が怒鳴り込んでくる。

甘やかし甘やかされることに慣れてしまった社会。
多感な時期をそんな状態ですごしていては、
愛国心が育つわけがない。

その国で生きることで苦しいことや楽しいことがあって
その上でその国でよかったと思った結果、
国を愛するという心ははぐまれるんだと思う。

そのためには、何でもかんでも規制するのではなく
子供たちがやりたいと思ったことを可能な限り許容して、
自分の力で何かをもがきながらやりぬくという経験が
必要なのかなと思う。

寄付。


これもStanfordにいったときにしったことだけど、
アメリカで寄付というと日本の寄付という意味合いとかなり違う。

日本では寄付というと
本当に寄付。
見返りを求めない援助という感じだと思う。

でも、Stanfordのクリーンルームに入ってKさんと話していたところ
どうもこっちでは寄付というのは見返りなしというわけではないようである。

確かに、Silicon Valleyの会社からお下がりの装置などは
日本で言う寄付という感覚でStanfordにあげているようなのだけど、
最新の設備の寄付となると話は違ってくる。
その設備を使って成果を出して、
その報告をしてもらうという形が寄付ということである。

日本で言うなら投資に近いのかもしれない。
アメリカでの投資はリターンを得るところまで考えるだろうから、
寄付は成果の報告を受けるところまでということになるのだろう。

こういう形でなら、日本の企業も多少は寄付をしてくれるかもしれないなと思う。
お下がりでいいからそれが研究室に入ればそんなに素晴らしいことはないだろう。

で、写真はGatesビル。
ビルゲイツの寄付によって立てられたコンピューターサイエンスの研究棟。
こっちは、Stanfordという格式のある場所に建物を残すことで
後世まで自分の存在を知らしめるということを見返りに思っているといわれる。
アメリカのお金持ちが大学に建物を建てて、自分の名前をつけるという常套手段ですね。

Stanfordはシリコンバレーで発展した企業が沢山あるから
そういう意味で寄付でいろんなものを手に入れている
大学だなぁと感心した。

アメリカの文化


Stanfordの博物館に行ったとき
アメリカには独自の文化がないと思った。

というのも、博物館に入って地図を見ると
ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アジアといった分類と、
アメリカというところには
今は追いやられているネイティブアメリカンの展示品があった。

ネイティブアメリカンの展示を出すということは
今アメリカといっているアメリカは
出すもの(文化)がないんだなってことにそれを見て思った。

今アメリカ発といえば、
ニューヨークなどであるモダンアートなどが
文化というカテゴリーに入らないのでもないかもしれないが
それもまだ文化と呼ぶには浅すぎる。
アメリカは他の国の文化をもってきて取り入れるしかなかったのだと思う。
そして、それをアメリカといっているわけだ。

つまり、いまだに独自の文化を生み出したことがない。

それに比べ、アメリカ以外の国は
自分たちの文化を何百年何千年とかけて
ゆっくりゆっくり培ってきた。

その文化には伝統という形で魂が宿り
人々はそれを大事にしようとする。
大事にしようとするのは、産みの苦労を知っているからだ。
日本もヨーロッパもみんなそういう意味で近い感覚を持っていると感じる。

でも、アメリカは違う。

自分で文化を生み出したことがないから
文化を創るという苦労をしらない。
ということは、文化を使い捨てにできるんだと思う。
どこかから文化を輸入してはそれを楽しみ、
飽きたら別の文化を輸入してそれを楽しむ。
いい意味では文化を混ぜ合わせることができるけど
悪い意味ではそれを尊重することができない。

だから、アメリカにある文化には魂はなく
その文化が持つ背景などは
すべて切り落とされているんじゃないかなと思う。

たぶん、いろんな文化を見て受け入れて
自分たちの文化を作り出そうとしているのだとは思う。
でも、おそらく文化的には発展途上国なのだろう。
(ちなみに他の部分でも発展途上国です。)

僕は東京という場所にしばらく住んで
アメリカに近いにおいを感じる瞬間があった。
東京はかなりアメリカに占領されているんだなと思う。

P.S.
ネイティブアメリカンの展示を見てすごく親近感を覚えました。
天狗のような展示や妖怪のようなお面が沢山あって
まるで日本の展示を見ている錯覚を覚えたくらいです。

やっぱり、同じモンゴロイドなんですね。
P.S.2
でも、ニューヨーカーは文化を切り捨てないけど、
日本人は経済などが苦しくなると簡単に文化を切り捨てる
というように感じる人もいるようだ。

2009年6月10日水曜日

冷静に情報を見るために

メディアの流す情報は国を問わず
感情をあおるような形での情報の流布を行っており、
それは明らかに情報を受け取る人の冷静な判断を邪魔している。

感情的に情報を見てしまえば、
過去にあったオイルショックや取り付け騒ぎを誘発する危険性がすごく高い。
こんなの衝動買いをさせるテレビショッピングとかとなんらかわらない。

冷静な判断をするためには、
一歩引いて客観的に情報を扱えるようにならないといけない。

客観視をするためにはひとつのソースからの情報を感情的にとらえるのではなく、
複数のソースからの情報を知ることが大事だ。
そうすることで、相対的に互いの情報を比較することができるようになり、
自分の中で自己責任でどう考えるかということを選択できるようになる。

情報が間違っているということはそこまでないとしても、
情報をどういう切り口で表現しているかは明らかに違う。

仮に、どんな質の情報でもいいから何が起こっているかを知れれば十分
というのなら知らないのとあまり変わらないのかもしれない。
ただ、大きなメディアの情報を知っていれば
世間で共有する情報を持ち合わせることができるということくらいだろう。

感覚的には、司馬遼太郎の竜馬が行くを読まずに
坂本竜馬は薩長同盟を実現したというくらいのことを知るのと同じだろう。

ひとつの情報ソースからだけでは
その情報が、問題の核心を突いているのか、
問題の尾ひれの部分を拡大しているのかは
知ることができない。

すくなくとも全体像を捕らえるためには
いくつかの異なる情報を手に入れることが必要だ。
といっても、それはそれでいくつかの情報ソースをそろえて
それぞれを吟味する時間と労力が必要なので、
なかなか骨の折れる作業だけど。

こういう意味で
いろんな民族のいろんな意見がまとまりなく存在するアメリカは
日常生活を通して、
情報を冷静に見るという能力を上げようと思えば
あげることのできる環境なのだと思う。

自分で選ぶ

アメリカは良くも悪くも自己責任が重要になるなと思う。

自由の裏に存在する義務ということはよくあるけど、
義務とかそういうものでもない気がする。
自分のみは自分で守るとかそういう部類の考え方だと思う。

とにかく身の回りにあるものや情報は
信用ならないものが本当に多いから
自分で選ばないといけない。

製作者の側の問題ということはやはりあるにはあるんだけど、
そんなの多民族国家の統率の取れない国では
足並みをそろえることのほうが不可能だ。

ではどうするか。
世の中には良いものも悪いものもきちんとそろえてあるから、
消費する人がきちんと選んで使ってねということです。

例えば、
アメリカの食品は農薬付けだったり食品添加物が極端に多いものと
そういうものを一切使っていない食品に分かれていたりします。
どちらを選ぶのも個人の自由です。

国が認可している食品添加物は安全だと考えることもできますし、
その認可がものすごくゆるい基準で行われていると考えている人もいます。

大統領がもっともっと国民が消費を加速することを励行していたかと思えば、
そのために経済が破綻してしまうこともあります。
そういうことをしたら経済が破綻するのは目に見えていたようです。

あげだせばきりがないです。

どれが正しくてどれが間違っているなんてことは
正直どの立場・角度から見るかによって変わるのですから、
絶対的にということはほとんどありません。
ということは、ある人から見れば良いことも
別の人から見れば良くないんです。

つまり、自分以外の人の判断というものは
あまり当てにならないし、信用ならないということになります。
他人の判断に従って失敗しても
そんなこと文句言える筋合いではありません。

だから、アメリカでは自分で判断して
選ぶということが重要になります。

ここでアメリカにある問題は
その選択するための情報が自由に手に入らないことですね。
その情報を手に入れるためにも
お金や人が重要になるのですから、
知らない人はなかなか知れないという悪循環になります。

これが格差社会なんだなぁと実感してしまいます。

P.S.
こういうことを感じて思ったことは
アメリカってインドに似ているということです。
インドには、すごく親切な人もいるし親切な人を装ってだまそうとする人もいます。
相手を信用するかしないかは自己責任ということを学びました。

アメリカも基本的には一緒、相手を信じるも信じないも個人の自由。
ただ、アメリカで多いのは対人というより対商品。
その点が難しいと思う。

人相手ならその人から感じ取れるものはあるのだけど、
商品となると製作者と販売者がわかれているので
相手のことがあまりわからないし
きれいにラッピングされてしまえば知識がなければ判断は不可能に近い。

これを考えてフランスの考え方がわからなくもないなって思った。
フランスの田舎は相手の顔の見える商品しかほとんど買わないとのこと。
なるほど、なるほど。

下調べの重要性

一般的には、
人と話をするときは相手のことをしっかり調べてから話をしたほうが
よい関係を持つことができる
といわれている。

でも、僕は初対面の人の情報を先に知ってしまうと
相手と話しづらくなるということを考えている時期があった。

理由は相手のことを一方的に知ってしまうことで
相手のことを知った気になって聞くことがなくなるということと
一方的に情報を持つことでなにか不公平な感じがしていたからだ。

ただ、今回僕の中でその感覚は180度変わった。

やっぱり、人と話をするときは
相手を下調べしておくに限る。

下調べをすることですんなり理解できないことがあっても
時間をかけて勉強してから人と話ができるようになる。
しかも、そのわからないことがあればその人に聞けばいいし、
お互いに共有した情報を持つことで
その情報を土台にした発展した話をすることができるようになるからだ。

それに、自分の殻にこもっていない人は
自分がやったことをしってもらっているとうれしいものだし、
場合によっては、相手に自分のやったことを理解してもらっていなければ
人と話をするのにその相手のことをまったく知らないなんて
こいつは失礼なやつだと思われることもある。

別に難しいことをいわなくても、
単に予習しておきましょうという
小学校のころから言われてきた至極当たり前のことです。

今回、自分の中で何も調べずに話しをして、
なんかばかげた発言が多かったので
これじゃいけないと思ったことがきっかけです。

結論としては一般論と同じですが、
今までと違って一方的に情報を持ったとしても
これからは話せる気がします。

2009年6月9日火曜日

911と9.11


Stanfordに行ったときのことです。
キャンパス内部を歩いていると
やたらに目に付くのが緊急電話の案内。

その番号はというと911なのです。

9.11の陰謀説という情報をあまりに耳にするので、
この911と9.11はかけてあるのかなって思いました。

そこで、Stanfordの友達に聞いたら、
9.11があったから911になったんだよって言ってたんですけど、
それは間違いのようです。

陰謀を仕組んだ人がいたとして、
9.11と911をかけていたとしたら
すごいブラックジョークだなぁと思いました。

考えすぎでしょうか?

義足の女の子

そういえば2ヶ月くらい前にUCLAキャンパス内を歩いていたとき
ある一人の女の子を見ました。

その子はひざから下が完全な義足になっているのですが、
歩き方は実に自然な感じで
西欧人が良くはいているすごく短い短パンをはいていました。

僕はそれを見た瞬間、
すごく自然だなぁ、
こんな技術日本にあったっけ?
あんまりじろじろ見たら失礼になってしまう。
ということを考えました。

でも、その女の子の実に堂々とした歩きっぷりに
目が釘付けになりました。

日本じゃ車椅子に乗っているだけで特別な目で見られるのに
アメリカはそういう点はすごいなぁと思います。

これも異質な人々の集まりの社会からだと思います。

狩猟民族と農耕民族 その4

以前、豚インフルエンザへの対応と言うエントリーを書きました。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/05/t-vsuc-la.html

そこで、日本は豚インフルエンザに悲観的で
アメリカは豚インフルエンザに楽観的と
感じたいうことを書きました。

そして、そのコメントにも書いたのですが、
あるブログでは日本がニュースに対して悲観的ということが
世界の常識のように笑いものにされているということを読みました。
そして、相部屋の中国人はどうしてアメリカ人はこんなに豚インフルエンザに無防備なんだろう
といっていたのを聞きました。

そして、出てきたひとつの結論は結局狩猟民族と農耕民族ということでした。
参考までに過去のエントリーをご紹介。
狩猟民族と農耕民族 その1:http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/1.html
狩猟民族と農耕民族 その2: http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/blog-post_2614.html
狩猟民族と農耕民族 その3:http://ucla-2009.blogspot.com/2009/04/3.html

かいつまんでおさらいをすると、
狩猟民族は論理でものを考えて
農耕民族は経験でものを考えるというものです。

こういう二つの民族に豚インフルエンザの流行の兆しがあるということを
伝えたらどうなるでしょうか。

狩猟民族は得られる情報を元に
豚インフルエンザを分析し始めます。
そして、弱毒性だ死者はあまり出ていない
という情報からそこまで危険ではないと考え始めます。

農耕民族は今まで経験したことのない
豚インフルエンザに対して、
未知の不安に恐れ始めてしまいます。
そして、過去から似たような経験である
スペイン熱の情報を持ち出してきて
そのときの被害と豚インフルエンザを重ね合わせてみます。
そして、広がるととんでもないということを考え始めます。

ちょうど、江戸時代末期に来た黒船の来襲と
同じ感じなのかもしれませんね。

もちろん、これだけが理由ではないのでしょうが、
これもひとつの答えなのかなと思います。

今まで経験したことのないことが怒涛のごとく起こる昨今
農耕民族はなかなか苦しい状況だなぁと思いました。

2009年6月8日月曜日

Clothes Line

(写真はwebから)

性犯罪ということで思い出すのは、
UCLAのキャンパスで行われていたClothes Line というイベントだ。

はじめてみたときは、大量のTシャツが飾ってあって
何なんだろうと思ったのを覚えている。

ものすごくインパクトのある展示だったので、
なにかの主張をしているんじゃないかなと思って
そのとき一緒にいた友達にあれなんだ?ってきいてみたけど、
彼もわからないって感じだった。

そして、後日もう一度いってみると、
やはりそれは主張をしているのであった。
その主張のテーマは、性的犯罪を受けた人の気持ちとかそういうのだった。
Tシャツの色毎に受けた性的犯罪の種類わけがしてあるというものだ。

こういうのは、確かに性的犯罪を受けた人が気持ちを吐き出すのに
すごく重要だと思った。

僕みたいな関係のない人が見に行っても
本当の気持ちは正直わかりえない。
ひどいなぁとかこんなことが本当にあるんだなぁとか思うくらいだ。
そして、犯罪をする人が見たら逆に喜んでしまうかもしれない。

でも、傷ついた人たちが
こうやって少しでも前向きに歩き始める一歩を踏み出す
きっかけにはなるんじゃないかなと思った。
こういう人たちの意見が抹殺されないのは大事だなと思う。

P.S.
身近なものを大量にカラフルに意外に飾って、
人の興味を引くという点でこの展示方法は素晴らしい。

張り紙



最近、マンションのエレベータや壁に
性的犯罪があったという警告の紙が張ってある。
きちんと読んでいないけど、
近くで事件があったのだろう。
どうも、武装している犯人らしく
見かけても近寄るなとのこと。
この辺は安全だって言うことだったけど
やっぱり治安は少しずつ悪くなっているのかもなぁと思った。
というか、こういうのが張り出されるだけ
治安のいい地域なんだなぁと思う。
こういうことが日常茶飯事じゃ
こんな張り紙しないだろうから。
それにしても、
似顔絵の顔が似てなくてよかった。

技術と権力


最近の自動車企業の倒産は生活をしていて
何か影響を感じるということはありませんが、
大きな出来事でしょう。

関係はありませんが、カリフォルニア州で以前、
電気自動車が普通に街中を走っていたのをご存知でしょうか。


面白そうなDVDがあったので
買ってみてみました。
タイトルは「Who Killed the Electric 」です。

僕はこれを買うとき、技術的にはできているけど
市場に出回るにはいろいろな圧力がある
ということかなぁと思って見始めたのですが
どうやら、実際に街中を走っていたものが
回収・廃止されたというのです。

これには正直驚きました。

しかも、電気自動車は各社GM、Ford、Toyotaなど
錚々たる企業が売り出していたにもかかわらずです。

理由は、
消費者の認知、燃料電池、石油利権などが
絡んでいるということでしたが、
まぁ、石油利権が一番の理由だというのは火を見るより明らかです。

なぜなら、消費者に認知されていなくても
きちんと認知している人たちは虜になっていて
回収された後もスクラップにしないでくれと
何年もの間デモをしていたくらいです。

こういう電気自動車に愛を持っている人たちがいる以上
企業にとっては生産しない理由はありません。
そして、インフラも写真に電気ステーションがあったことを示す以上
整っていたことがわかります。

燃料電池は電気自動車よりもエコで燃費がいいということですが、
まだ開発に時間がかかります。
それなら、燃料電池自動車が生まれるまでの間
電気自動車を売り出しておいて問題はないのです。
ハイブリッド車が市場を席巻するのなら電気自動車を販売しない理由は見当たりません。

そして、石油利権。
これは否定の使用がありません。
ドルが基軸通貨でいられる理由が石油にある以上、
石油の価値が下がるとドルの価値がそれに応じて損なわれます。
そして、世界経済に与える影響や石油でも受けている人たちに与える影響は
避けて通れません。

電気自動車の販売が続いていたとして
倒産が避けられたかというとそんなことありませんが、
そういう技術が日の目を見ることで
世の中が良い方向に進んだとは思います。

P.S.
アメリカでは既存権力の利権を脅かすような技術の開発は難しいのかなぁ。
日本でも難しいようですが。

2009年6月7日日曜日

早朝にUCLAで起こった事件


早朝に実験をしていたら、
突然サイレンと警報が鳴り響きました。
最初は実験室は音が遮蔽されているので
あまり気がつきませんでしたが、
静かに実験をしているので何か音がするなと思いました。

扉を開けてみると
ものすごくけたたましい音が鳴り響いていました。
そして、災害発生のアナウンス。

でも、まさかなって思って実験を続けていたのですが、
30分位しても鳴り止まないのでまずいのかなぁと思って
外に出てみると防火扉やら何やらがしっかり閉まっている。

ひょっとしたらひょっとするかも
いや、でもこんな深夜に地震もないのに災害は起こらないだろうと思いつつも
一応、外に非常出口をつかって出てみました。
そして、建物のセキュリティーのところに行くと
セキュリティーの人が2人でいつもどおり話をしていました。
サイレンと警報は鳴り響いているにもかかわらずです。

できいてみると、試験しているだけだよって笑われました。
結局、実験室に戻って実験をしましたが、
その後2時間くらい試験が続いていました。

まぁ、徹夜実験をしていると
いろんな普段経験しないことに出くわしたりするわけです。
基本的には、真夜中の掃除の人と会うというイベントがあります。

徹夜実験マラソン

実は今、徹夜実験マラソンを敢行しています。

どういう内容かというと、
真夜中に実験するということです。

僕の使っている装置は毎日日中は予約でいっぱいで
なかなか使えそうにない状況がずーっと続いています。
でも、その装置を30時間使わないと目的の装置はアクセスさせてもらえない。
しかも、僕はもう1ヶ月(うち1週間は旅行)しかUCLAにいない。

なら・・・ということで
誰もいない深夜帯に実験をすれば、
毎晩10時間程度の装置使用ができるというわけで
徹夜実験マラソンをしようということに決めました。
おかげで、30時間の装置しようのうち23時間を2日で集中的にこなし
暗中模索になりかけた実験に一筋の光明を見つけることができました。
(1日目10時間、2日目13時間、3日目7時間(予定))

そして、今日が3日目。
徹夜実験は修士のときに毎日のようにしていて先生から注意されていらい、
封印していたのですが、解禁してみると楽しいように実験が進む進む。
これも、今1人でUCLAにきているからなせる業ですね。

ちょっと病み付きになりそうですが、
人間的な生活を心がけている僕は今日を最終日にしたいところです。
そういえばここ数年は徹夜といえば
・博士論文の締め切りに追われたときと、
・学生の修士論文のために成果を出してあげるときに
下くらいで自分のためにするというのは本当に久し振りですね。

こうやってリミッターをはずして研究をすると
研究がものすごく楽しくなるのを再確認しました。

最終日しっかり堪能したいと思います。

P.S.
だから、寝ているときは体が集中して寝てくれるわけです。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/06/blog-post_07.html

P.S.2
というか、スケジュールに縛られずに動くことを自分で選択しているから
楽しいんだと思います。

眠っている自分を客観的に感じる。

ここのところ、
眠りがものすごく深い。
といってもおきられないというわけではなくて、
眠りが足りないと(1時間とか寝ただけだと)
明らかに体がまだ寝ているから起きるなという信号を出している。

どういう信号かというと、
・とにかく体が動かない。
・体が熱い。
・頭では動きたくても、気分的に動きたくない。

で、10分くらい動きたいと思っていると
体は仕方ないなぁと思考に合わせて
休むのを中断してくれます。
子供に日曜日、お父さんが起こされる感覚に
似ているかもしれませんね。

で、今はそういう体が欲しがっている睡眠を
十分あげた後の寝起きです。
これは調子よく体が動きそうな予感。
実験頑張ります。

2009年6月6日土曜日

でこぼこ

でこぼこが大事だよなぁ
と最近思うことが多い。

でこぼこといっても
僕以外の人には伝わらないので
ちょっとでこぼこを説明しようと思う。

でこぼこというのは
変化があるということだ。

舗装された道と山の中の道では
山の中の道のほうがでこぼこ。

単一民族国家と多民族国家では
多民族国家のほうがでこぼこ。

会社と大学では
大学のほうがでこぼこ。

都会と田舎では
田舎のほうがでこぼこ。

機械と生き物では
生き物のほうがでこぼこ。

人工と自然では
自然のほうがでこぼこ。

なんとなくわかってくれただろうか?
均一なものか不均一なものかということもできる。
かっちり隙間のないものと隙間があったり遊びがあるものということもできる。
単調なものと多様なものということもできる。

そういったものに共通するのが、でこぼこ。
(と僕はいっている。)

でこぼこがあると、いろんな刺激がある。
自分とあうことも自分とあわないこともある。
でも、いろんな刺激があると考える。

何だろう?
どうしてだろう?
何に使えるだろう?
どうなってるんだろう?

いろんな?が頭の中を交錯して
あるとき?から豆電球に灯がともる。
そんな豆電球を沢山つけて
自分の世界を明るくするっていうのが大事なんだと思う。

豆電球が沢山ともることで
自分が明るく照らされて
くっきりと輪郭が浮かび上がる。
そして、ようやくわかる。
僕は僕、あなたはあなたなんだって。

残念だけど、今の日本ではなかなか難しいと思う。
いろんなものからでこぼこがなくなって、?が生まれにくくなっているから。
?が生まれないっていうのは、ある意味楽園なんだろうけどね。

博士の価値

よく日本では博士号というものに価値を見出さない
ということをいうけれど、何でか考えてみた。

一般的には日本の博士号を持った人は会社で使えないからといわれる。

使えないというのは、
人とのコミュニケーションがとれないということだ。
博士課程で研究をしてきた人は個性的で扱いに困る。
研究のいろはなら会社で教えるから、博士課程を卒業した人である必要はない。

まぁ、そんな答えが返ってきそうだ。
でも、たぶん本当の理由は違う。

博士課程というところは自分で考えた世界初を筋道だてて実現するということを通して、
ものの考え方、まさにDoctor of Philosophyの名前のごとく自分の哲学を養うところだと思う。
だから、個性的だというのは間違った分析ではないと思う。

ただ、日本の会社で必要としている能力ではないのだ。
日本の会社は既存商品を高い水準で同じ品質のものを作ることに重点を置いている。
新しいものを作るにしても既存商品の組み合わせから作る。
それは、あくまで今ある1の価値を10に、100にしていくという仕事だと思う。

そのためには社員が同じようにものを考えて
いろんな考え方を排除して会社の考え方で
会社の目標に向かって走るのがいいのだと思う。

一方、博士号を持っている人は世界初を実現する力を養った。
これは0から1の価値を生み出す力だ。
こんな力、日本の会社には必要とされない。

でも、欧米の会社は違う。
日本と欧米の会社の違いとしてよく言われることは、
会社から新しい商品が出てきたり、
新しい発見の商品化を積極的に進めたりできている。
つまり、0から1の価値を生み出している。

こういった会社では博士号の価値が十分生きる。
欧米ではこういったことを重要視している。

日本の会社が考えたものを
日本ではうまく商品にすることができずに
結局欧米の会社があとから考えて
世界中に商品を提供するということが
日常茶飯事にある。

そりゃ、会社の向いている方向が違うんだから、
こういうことは仕方ないと思う。

仮に日本発のものをもっと世の中に出したいのであれば
もう少し博士という異質なものに価値を見出して
会社の中にいろんな考え方が存在することを奨励すればいいのだと思う。

ものに支配される人間。

人間の生活は科学技術の発展でずいぶん楽になったし
豊かになった。

といわれている。

ある一面ではそれはもう首が千切れるくらい縦に振って
賛成できるんだけど、
ある一面では逆だよなぁと思ってしまう。

というのは、
人間の生活が全部同じになったと思う。
同じっていうと豊かって感じではないと思う。

例えば、日本の一般家庭では、
家には洗濯機・冷蔵庫・テレビがあって
最近ではパソコン・デジカメ・プリンターがあるという。
どこの家庭にいっても似たような生活スタイルがある。

そして、映画を見たり、
お茶をしたり食事に行ったり、
買い物をしたりしている。
どこも同じようなことをしている。

極度に画一化された生活だなぁと思う。

もちろん多少の違いはあるけど、
そんなの目くそ鼻くそに過ぎない。
なんだか誰かに言われて同じような生活をするようになったように
見えなくもない。

どうしてかなぁと思ったら
大量生産大量消費という
画一化されたものを消費するという構造に
原因があるんだなぁと思った。

供給されるものが同じだと
同じように使ってしまうというわけだ。
ある意味、ものによって人間があるルールに
のっとっている感じがする。

つまり、こうだ。
ものに支配される人間。

でも、なかにはものに支配されていない人間もいる。
一見同じと感じることにも
まったく違った使い方や捕らえ方をすることもできる。

テレビを
世の中で何が起こっているかの情報ソースとして受け止めることも、
世の中の人がどういう風な情報にさらされているかという情報ソースとして受け止めることも、
それは使う人の自由だ。

車を
単なる移動するための道具と考えることも
ドライブを楽しむ道具と考えることも
それは使う人の自由だ。

一様に同じものが行き届いた世界では
ついついものという見えないルールにそって生活しがちだけど、
ものに与えられた価値を超えた使い方を考え出してすることで
ものに支配されない生き方ができるんだと思う。

ついつい、与えられたルールに沿って物を使いがちだけど、
少し考えてみてもいいのかなと思う。
そうすることが、豊かな生活への一歩だと思う。

2009年6月4日木曜日

大きなキャンパス。


それから、Stanfordにいって一番思ったことは
めちゃくちゃ大きいということでしょうか。
UCLAが全米2番目に小さいということでそのギャップはかなりでした。
友達のKさんに聞いてみると、アメリカでも結構大きい大学だということでした。

正門からキャンパスの建物までの距離は
歩いて30分。

歩きながら思いました。
こういうのが本当のお金持ちの豪邸なんだろうなぁ。
本当のお金持ちはこれくらいが普通なんだろうなぁと。

まぁ、ちょっと言い過ぎかもしれないですけど、
日本ではありえないスケールでした。

門をくぐった後も
スタンフォードはどこにあるんだ??
ってい思いながら、はじめてきたときは思いました。

というくらい、まだまだ敷地内に余裕のある状況で
まだまだ発展する余地があるなぁと思いました。
ある意味、今のアメリカを的確に表しているかもしれない
と思いました。

P.S.
ちなみにStanford訪問は
直前に決まったことやばたばたしていたため
十分にKさんと連絡を取るのを怠ってしまい、
待ち合わせ時間、場所、連絡先、所属建物、地図・・・
というものを何も決めずに調べずにいってしまいました。

それでも、Kさんとは会えたのでよかったです。
すこし、無謀だったなと反省しつつも、
何とかできるという自信が少し芽生えました。

アメリカの博士課程。

アメリカの博士課程は入り口も中も出口も大変そうでした。

入り口:
アメリカの大学は博士課程に進学するためにも
適正試験を受けます。
いくつかの分野の教授に対して各分野の口答試験をします。
それを2日くらいかけて行うというわけです。

与えられた問題に対しホワイトボードなどを使って
それぞれの専門家の前で説明します。
博士課程に入る前の段階ではこれはかなり大変だと思います。

そして、チャンスは2回。
それがだめなら進学できません。
確率は1回50%。2回で75%らしいです。

そして、自分で指導教官を探します。
指導教官を探すといっても、
教授が空きプロジェクトを持っていないと雇ってくれません。
アメリカでは教授は給料を支払わないといけないですから。
そして、それがないと学生は生活できないですから。

なるほど、こういうのがあるから
学生でも自立していた大人という風に認められるんでしょうね。
学生というだけで軽く扱われていた
僕の学生時代を考えると、その辺の社会認識はうらやましいです。

中:
授業は前回のエントリーに書きました。

研究は基本的に教授の持つプロジェクトがうまく回るように
教授と話し合いながらすすめます。
もちろん、自分からテーマを創出していくことが重要で、
それができてある程度認められるというのが現実なのでしょう。

出口:
博士審査は学外の先生も含めて行います。
といっても、共同研究の先生たちに審査委員としてお願いすることがほとんどなので
実は博士審査をするということが決まれば、
周りの先生たちも研究について納得しているということなので
あまり問題なく審査を通過できるというのは日本と同じようです。
(審査をできるかどうかというところが大変というのも同じです。)

日本の審査委員は指導教官が決めるし、
大体が学内の近い分野の先生が選ばれるので
別の視点からの指摘はあるものの深い議論というのは少ないかもしれません。
(僕の場合は自分の分野を大きく出た部分が大きな結果だったので、
近い分野の先生に審査してもらえて、深い議論ができましたが。)

あと、博士論文は審査前に書くとか決まっておらず
指導教官によっては審査後に書くという風にしている場合もあるようです。
アメリカは随時審査ができるためそういう風になります。

ということで、
大変なのは入り口と中ということになるのだと思います。
特に僕は中の部分の厚みが日本には足りないなぁと思いました。

P.S.
Kさんは口頭審査をパスしたにもかかわらず
最後の仕上げの仕事をしていました。
で、僕は一人彼の部屋で寝て、彼は研究室で研究を夜通しするという状況。
悪いなぁと思ったけど、今までもそうしてきたので気にしないでくださいとのこと。
この集中力には恐れ入る。

勉強不足を痛感する。

先週末はStanfordにいってきました。

目的は、
Stanfordの学生はすごいという前評判を確かめるために
Stanfordで博士課程にいるKさんに会いに行ってきました。

感想はやっぱりすごいなって思いました。
そのKさんはStanfordの中でも秀でている人で
積み上げられた教科書(数百ページはある分厚いやつ)の中に
いろいろな受賞の表彰状が彼のブースには飾ってありました。

彼と話していて思ったことは
あ、勉強しないといけないなということです。

こっちに来てから
日本の研究者よりアメリカの研究者のほうがインパクトある成果を出していることについて
どうしてなのかなーといろいろ考えていましたが、
そんなことを簡単に吹き飛ばされてしまいました。

個人的に勉強をするというのではなく
日本は授業があまりにもお粗末であるというのが問題なんだなと。

UCLAでも授業がわかりやすいし、
授業と実験の組み合わせでうまく理解を助け
実際に授業が終わると実験ができるようになっているというのを
経験していました。

1/4年間、週2、1コマ2時間と短期間に集中して学習するので
だれることなく勉強できる。
宿題をやるためには、自分でしっかり勉強しないと宿題すら解けない。
そういうことはわかっていました。

そういうことを知った上でも、
StanfordではKさんから話を聞くにつれてこりゃすごいなーと感心しました。

何がすごいかというと、
授業の先生がノーベル賞受賞者だったり
アメリカの国策のアドバイザーをした人だったり
世界的権威がものすごくわかりやすく話してくれるということ。
そんな人に普段から触れることで、
変に相手を上に見たりすることがなくなるだろうし、
そういう人たちの考え方が自然とインストールされます。

授業ひとつにつき分厚い教科書一冊分は勉強することになるということ。
そして、分厚い教科書をざっと理解していないと網羅的な知識は得られないというのです。
日本は授業で薄い本を1冊するくらいなのに、それだけでも大きな差です。
そして、分厚いということは説明をはしょっていないということなんですね。

授業で何かの設計をさせて、その性能をシミュレーターで競わせて
そのコンペティションをすること。
コンペティションにより実際の設計などのポイントを抑えるとともに
そこから生まれた新しいアイデアの芽をもつことで
ビジネスなどにつながったりするのかなぁと思ったり。
(Kさんはビジネスを起こそうと考えている人は見たことないといっていました)

博士課程のほうが修士課程よりも必要単位が多いこと。
3年間で90単位とのことで、研究に専念できないじゃないかという気になりました。
が、Kさんは3年で取得しています。

日本だと宿題をみんなで考えてとか友達の宿題を写したりして同じだったりするけど、
そんなことをすると、厳罰が待っていたりとか。
(これはアメリカ全体ですね。)

他多数。

とにかく、日本とはまったく違いました。
確かにこういうシステムだと博士課程はものすごく大変になるでしょう。
でも、それでいいんだと思います。

それに適した人がその資格を得ればいいだけで、
適さない人が資格を得ても後々大変になるだけです。
それなら、そういう人は別のことをやったほうが
よりよい能力を発揮できるというわけです。

つまり、資格は単なる適正試験であるのがいいんだなと。
万人に資格を与える日本では、だから資格の価値が低いんですね。

で、そういう適正なふるいがあるために
人は真剣になれるんだと思います。

日本の大学もいろいろ大変にすれば
学生のまなざしが変わってくると思いました。

P.S.
大学にいけば遊びほうけれるといって受験勉強に重きをおく教育が
一番問題なんだろうなと思います。

2009年5月29日金曜日

週末はStanford。

明日から金土日とStanfordにいってきます。

実は、3ヶ月前くらいにUCLAに視察に来ていた政府関係の人が
UCLA、UCSB、Stanfordと回った結果、
Stanfordが一番すごい。
学生のまなざしが違う。
機会があったら、いや機会がなくても
一度見に行ったほうがいいよといわれました。

そこまでいわれると、一度行きたいなぁと思ったんですが、
まぁ、研究成果を出して発表に行くって言っても
まだネタないしなぁと思っていたところ、
日本の友達と話をしていて
あ、彼がスタンフォードにいるじゃないか!と思い出すことができたんです。

そんな彼を尋ねて、中身もいろいろ見学させてもらうつもりです。
政府関係の人をあそこまでうならせたStanford。
東のHarvard、西のStanfordといわれるStanford。
シリコンバレーを作り出したStanford。

こう考えると魅力たっぷりです。
どんなところに行っても、何か刺激を受けれるのは間違いないので
しっかり感じてこようと思っています。

Westwoodのディスプレイ

通学路にあるビレッジバンガードみたいなお店のディスプレイなんですが、
これにしようと思った感性には正直驚きます。

まぁきっとバスケに熱狂的な人が
ディスプレイしたのだと思うのですが、
バスケの応援の衣装(たぶん)に博士帽をかぶせてどうすんだって感じです。
一応、卒業のシーズンだから
雰囲気出すために博士帽をかぶせたのでしょうが、
はっきりいってミスマッチです。

でもすごく自信あるんだろうな。
かれこれ一ヶ月以上これですから。

交差点で起こった事件

一ヶ月くらい前のことだろうか、
通学中に目を疑う光景にあったのを
今でも鮮明に覚えている。

ちょっといつもより家をでるのが遅くなったけど
まぁ普通に歩いていこうと思って
通学路をのそのそ歩いていて
もう校門が目の前というところでの出来事。

目の前にはスクランブル交差点があって、
信号が赤信号に変わった瞬間のことです。
LAは赤信号でも車は安全さえ確認すれば右折できます。

こういう状況の下
一人のちょっと小太りの白髪のおばあさんが
信号が変わっても普通にのそのそ歩いていました。
で、信号はもうほとんど変わって前方の信号が青になったら
右折しようとしている車がありました。

その車は回りの安全を確認しながら
少し前に出たんです。
ただ、その白髪のおばあさんに気づいたらしく
ブレーキを踏みました。

でも、それに驚いたおばあさんは
腹が立ったらしく
車の前に仁王立ちして
"Fuck you!!"と叫びながら、中指を立てていました。
本場の本気のFuck youをはじめて目の当たりにしました。

なんという迫力。
映画の都ハリウッドで映画を観るより十分エンターテイメントでした。
なんといっても、おばあさんのFuck youですから。

本当にアメリカって年齢関係ないんだなぁと
しみじみ思った瞬間でした。

P.S.
でも、おばあさんはFuckしないでほしいです。

2009年5月28日木曜日

身近な銃

この前ちょっと遅い目に学校に向かっていたら
駐車スペースのメーターのお金の回収をしていた。

その片手には片手拳銃。
厳戒な体制ですね。

この前、銀行のお金運ぶ車が銀行に止まってた。

その周りには大きな銃を持っていた。
厳戒な体制ですね。

日本では考えられない光景です。

銃の管理

この前の週末サンタモニカに行ったときのこと。
たまたま覗いたパトカーの中には
大きな銃が置いてあった。
普段警察官が持っているよりもずっと強そうなやつ。

そして、警察の姿は見えない。
無料遊園地のある場所で
特にその場は騒然としてなかったから
遊びにいってるんだろうなと思いました。

これで大丈夫なんでしょうか?
危なすぎませんか?

実は偽物なのかなぁ。

P.S.
本気でとろうと思えば
そんなに苦労せずに取れそうな気がしましたよ。

大量生産による品質の低下と追記

この前国の活力をあげるためにはってエントリーを書きました。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/05/blog-post_3006.html

で、コメントにあるように指摘されたのですが、
まったく持ってそのとおり。
コリャなんだと思ってしまいます。

今の状況はたまってきたネタをどうやって消化するかということばかり考えていて
文章を練るというよりは、文章をとりあえずあげるということをしていましたね。
だから乱文の大量生産。

よく陥るケースを自戒の意味もこめて。

自分で考えに考えて、
出てきた答えは一見するとすごくシンプルだったりするのですが
その過程ではあーでもないこーでもないを繰り返すわけです。
そのあーでもないこーでもないといった思考の過程を省略してしまうと
そんなのどこでも言われていることだよってなってしまいます。

これは研究はできるけど教えるのが下手な研究者が陥るケースかと思います。
確かに学ぶステージでは考えてきたことも、
学び終わって教える側に立つと別のステージに立ってしまうことで
今までの思考の過程や必要な情報を常識として考えて伝えてしまうんですね。

教えることにはある程度自信があっただけに
僕も教えるのが下手になってきていると考えると
ショックですね。

他にも、
こういうことを書こうと思って書き始めても
書いている途中に頭の中で思考をあっちにいったりこっちにいったりしながら書いて、
その過程をを省略してしまうと、
最初と最後が一致しない。
これ僕の今回のケースです。

たぶん、こういうことが多いんだろうなと思います。
だから、天然といわれたり良いこというなぁとなるのかもしれません。

物事は順を追って説明しないと伝わるものも伝わらない。
丁寧すぎるくらいでちょうどいいんです。
とわかっていても、今回は急ぎすぎました。


と書いていて、前のエントリーで詰まっていたことに対して
ひとつの考えが浮かびましたので、ここに書いておきます。

コメントで
保守:ブレーキ
革新:アクセル
という表現をしています。
そして、バランスをとりつつ変わっていくのがいいとも書いています。

でも現実問題、バランスをとりながらっていうのは
結構難しい。
で思いました。

とりあえず革新にやらせてみて、行き過ぎる前に保守が止める。

これは車にたとえるとわかりやすいと思います。
車はアクセルを踏んで、スピードをブレーキで調節するわけです。
発進するときにいくらブレーキを踏んでも
前には進めません。

だから、まずはアクセルを踏む。

ただ、車が発進してしまうと、
事故が起こる可能性は一気に上がります。
なら、どうするか。

ブレーキを踏んでスピードを調節したり
緊急時にはとまれるようにする。
つまり、安全に運転するにはアクセルよりもブレーキが強い必要があります。

ということは、保守>革新という図式のほうがやっぱり安全です。
ただ、前にも書きました。
まずはアクセルを踏む。

ということで、とりあえずの僕の結論は、
革新が自由に行動できるようにする。
保守は革新の行動を見ていてあげる。
暴れん坊将軍を見守るじいのように。

ただし、保守のほうが力は強くて、
いざというときは革新の暴走を食い止めることができる
というシステムを作ればいいんじゃないでしょうか。

と考えると、年功序列自体はそれなりに良い。
ただ、今の年功序列は若い人が身動き取れなくなっているのが良くない。
年をとった人の能力を評価するシステムなんだから
もうすこし年をとった人はアドバイザー的でいいんじゃないかなと。

そうすれば、たぶん安全運転ができるはずです。
どうだろう?

2009年5月27日水曜日

車のかっこよさに気づく



今まで車を見ても
別に安いのでいいやとか
安全なのがいいやとか
実用的な感じで見ていたのですが、
今回少し意識が変わりました。

この前の週末道を歩いていると
一台の車が走ってきました。

フェラーリです。

こっちに来てから結構フェラーリは見ていたのですが
そのときはなんとも思いませんでした。
でも、今回走っているフェラーリを見て
かっこいいと感じました。

2シーターでまったく実用的じゃない車ですが、
大きな道を走っている姿は良かったです。

それをみてから、いろいろと車の写真を撮っていました。

そして、駐車スペースにあるフェラーリを見て写真を撮っていると
中からおじさんが出てきました。

ちょっと夢中になりすぎちゃったようだったので、
写真とってもいい?って聞いたところ、もちろんと言ってくれました。
そして、車すきなのかとちょっと会話をして
その場を去りました。

あの時、もっと絡んでたら
フェラーリの運転ちょっと位させてもらえたのかもなぁ
いやそれは無理でも助手席には座らせてくれたのかも
と思うと、もう少し会話を盛り上げる努力をしたら良かったと思ってしまいました。

といっても、お金があっても
日本では絶対買わない車だと思います。

ロデオドライブに見るディスプレイ


ビバリーヒルズのロデオドライブに行ってきた。
高級なお店が立ち並ぶ場所として有名です。
世界のお金持ちが来ていて日本人が中途半端な格好をしていくと
恥ずかしいという風なことをいわれたのですが、
とりあえず行ってみたかったので行ってみました。

で、特に何か買いたいわけでもなかったので、
その辺を行きかう人を見てみたり
お店のディスプレイ方法を見てきました。

そして思ったこと。

ディスプレイは店のステージによって変えないといけませんね。
すでに有名な店と有名じゃない店なんですけど、
すでに有名な店は、
お客さんにお目当てのものがあったり何かを見るつもりで来ているので
お客さんにお目当てのものがあまり見えないようにしておいたほうが
店の中をしっかり見て回ってくれます。

一方、同じことを有名じゃない店ですると
素通りします。
それではいけないので、入り口やとおりに面するところに
自慢の一品などを魅力的に見えるようにして、
お客さんがその店の中ものぞいてみたいなというようにしておきます。
そうすれば、そのディスプレイに惹かれた人は
中にも何かあるのかなと思って
中にいってみようと思うわけです。

これはいろんなことについて同じことが言えます。

例えば、
これから駆け出しの芸能人は前面に自分のキャラを出して
覚えてもらわないといけませんが、
すでに有名な芸能人は自分の売りを適切なときにだけ出すことで
適切なコントラストを生み出します。

例えば、
スタートアップの会社の社長さんはどんどん名刺を配って仕事を取ってきますが、
大企業の社長さんは適切なときに適切な仕事を取ってきます。

まぁ、いろいろあるわけですけど、
自分の立ち居地を理解して行動すると
人からの評価をある程度コントロールできるなと思いました。

といっても、自分の持つものっていうのは
変わらないわけですけど。

アメリカにいると付き合う人が違う

LAに住み始めて気がついたことだけど、
外国で生活をすると
日本の有名人や普段会えない人と出会う確率が格段にあがる。

これには理由がいくつかあって、
1.住んでいる人がそれなりな人
2.マイノリティという範疇にはいる。
ということだろう。

外国に住むということは
それなりに志があって日本を飛び出す人が多い。
もちろんその志も半ばでという人もいるけど
日本人にとって日本をでるということは
結構ハードル高いですからね。

また、有名人は有名人で日本にいると
プライバシーやら何やらで窮屈でしょうから
海外に出てきます。

そして、有名人の子供というのも
結構いたりします。

という状態が海外にはあります。

そして、ここで2が加わると
そういう有名人も志のある人もその子供たちも
同じ日本人として助け合わないと
生きずらい部分があります。

そうなると、そういう人たちとの交流が可能になります。

日本では希薄になった
日本人同士の付き合いが少しは復活するのだと思います。
(といっても、他民族と比較すると
 なんてつるまない民族なんだと思ってしまいますが)

人脈という意味では日本にいるより
面白い人たちとあえるというのは
確実かなと思います。

P.S.
Nature通っている人とかノーベル賞受賞者とか
日本とは比べ物にならない数いますしね。

2009年5月26日火曜日

国の活力をあげるためには

新陳代謝が悪くなれば
老廃物がたまってくる。

人間社会も同じ
若者の力が小さくなれば
年長者の力が大きくなります。

年長者たちは自分の立場を守るために
長年積み上げたものを守ります。

その長年積み重ねたものは昔は良かったけど
今の世の中にはあわないものはあって当たり前です。
盛者必衰なのですから仕方ありません。

でも、そんなことがわかっていても
自分を守るために長年の積み重ねを大事にします。
いわゆる、保身というものです。
すると、その社会はどんどん活力を失い
古きよきものに埋もれていってしまいます。

それを最も助長するのが年功序列な社会なのでしょう。

企業も同じ。
全部一緒だよなぁと思います。

年功序列というシステムは
資本主義では物事のよしあしを吟味する時間も惜しんで
どんどん新陳代謝をあげていくことが求められるため
うまく機能しません。

でも、おそらく社会主義ではうまく働くのだと思います。
社会主義ではお金よりはその方向性が重要視されると思うので
活力は方向性に比べると二の次です。
そして、年長者のほうがやはり若者よりも俯瞰したものの見方ができるため
間違った方向に進むのをとめてくれるからです。

といっても、今の世の中は資本主義ですので
資本主義で有効に働くようにしないと
国としての国力が下がってしまいます。

そうなると、やはり古き良きを尊重するよりも
新しい活力のほうが重要となります。

ただし、ここで問題になるのは
どうやって長年培ったものを取り除くか。
もちろんこれは一筋縄ではいきません。
だって相手は権力者だから。

そのためには同等の勢力を作り上げるか
草の根的に活動を広めるか。
といったところでしょうか。

どちらかではなくどちらも必要ですね。

なんにせよ、活力をあげていくには、
若者に年長者がその座を譲る必要があります。

ルールと信頼

以前、教授と一緒に研究棟に入ろうとしたとき
うちの教授もリストに登録されていなかったらしく
守衛のところで足止めを食らいました。

そのとき、教授が言っていた言葉が印象的です。
「人間関係の根本にあるのは信用だ。それがないときにルールが必要になる。こんな感じでやっているから、カリフォルニアは無駄な仕事が増えて、貧乏なんだ。」とのことでした。
審理だなぁと思う一方で、それに便乗して文句まで言ってるよ、この人と思いました。

こういうことを考えると
日本人は戦争に負けるまでは
基盤になる共通認識(常識)があったから、
ルールなしでいけたのに、
アメリカに占領されて必要のないルールを作られ、
異文化を取り入れることで、
信頼関係というものがどんどん崩れて
ルールが必要になってきている気がします。

まぁ、ある意味北朝鮮的だったということを言う人もいますが、
絶対的な上下関係や人間と人間の信頼関係は
あったと思っています。

まぁ、その信頼関係の変わりに
物質的な豊かさと多様化が生まれてきているんだろうとは思います。

といっても、まだまだ日本では問題が少ないわけで、
日本があるのは常識を蓄積してきたからなんだな
と思います。

自己主張は必要なんです。

とりあえずアメリカは問題が起こる。
問題が起こらない日本が不思議になるくらい
問題が起こる。

問題が起こってきちんと報告しても
その問題が解決するまでには
2・3回報告や主張を繰り返さないと
なにもかわらない。

そりゃ、いつもこういうことに対応していけば
自己主張が強くなったり、論理性がよくなったりするわな。
そう自己主張や論理性が生きるうえで必要なんです。

この理由は結局のところは移民の国、
つまり、いろんな常識が混じっているからだと思うl。

あるところでは十分なことがあるところでは物足りない。
こういうことは当然でてくる。

例えば、僕が英語サークルみたいなのの見学に行ったとき
イタリア人は順番守らない、ルール守らない、とにかく野次馬みたいなことを
イタリア人が紹介動画を見せていたけど、
それはイタリア人なら問題ないけど対外国人になると
大きな問題になる。

日本でそんなことしている人がいたらどうでしょう・・・
KYとかいってみんな避けるようになるんでしょうね。
別に本人は悪気ないんです。
本人にとっては許容範囲のつもりが
他人にとっては許容範囲でないということです。

日本人が何もないのに笑うって言うのとかも似たようなことでしょうね。
すべてに自己主張を読み取る国民性にとっては
意味不明で気持ち悪いと。

ということで、
何も主張しないよりは何か主張しないといけないんでしょうね。
日本人にはなかなか慣れが必要ですが。

2009年5月25日月曜日

北朝鮮の核実験

北朝鮮が核実験したんですね。

ということは、
アメリカのイラクにした制裁が北朝鮮にも行くのかなと思いきや
特にそういう流れはなさそうですね。
CNNをみていると、アメリカは緊急だという意識はなさそう。
http://www.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/05/24/nkorea.nuclear/index.html

これを見るだけでも
日本がいざというときに頼りにしている日米安保条約なんて
いざというときアメリカが本当に力を貸してくれるか
怪しいことが良くわかる。

イラクは核兵器を持っているという疑いだけで
首都をぼこぼこにされて大統領まで捕まった。
北朝鮮は核兵器の実験を行ったけど、
ニュースを見てもたいしてアメリカは興味がなさそう。

まぁ、大統領が変わったからといういいわけはあるのかと思いますが、
この差はあまりにも大きいです。
イラクに対して行った侵攻において核は単なる名目で
それとはまったく違うということが思惑としてあったことが良くわかります。

それにしても、それに力を貸した日本。

その辺をわかっての判断だといいのですが、
少なくとも一般人はそういう情報を得て
吟味したという人は少ないと思います。

情報がないからというのではなく
そういう情報が手に入るように国民が働きかけないと
いけないのでしょうね。

Getty Center



今日はGetty Centerに行ってきました。
20世紀初頭の世界一の大富豪J. Paul Gettyが
10億ドルのお金をかけて13年間かけて作った美術館。
入場料無料で丘の上からLAを一望できるということで
行ってきました。

さて、その感想は。
10億ドルってこんなものかという感じです。
確かに、それなりに充実していたし庭園などはかなり気に入りました。
でも、今まで見てきた美術館と比較するとそこまですごい!っていうものが
ありませんでした。

ちなみに、今までの僕の中のランキングでは
エルミタージュ(ロシア)がトップです。
ルーブル(フランス)は確かに品揃えは世界一な気がしましたが、
趣味が合いませんでした。
ウィーンの宮殿とかヴェルサイユ宮殿とかは家具やインテリア内装はいいのですが、
狭いところに詰め込んだ感じがしました。

話は戻って、Getty Centerの中庭はかなりテンションあがりました。
きれいな花がいたるところいなって、その中を小川が流れている。
西欧的な庭としてはそれなりにいいと思います。

個人的には見たこともない植物が沢山あって
テンションがあがったというのがポイントの高い理由です。
自分の想像では思いつかないような植物にあえて
ものすごく刺激を受けました。

庭のオブジェやつくりなどは
オシャレだなぁと思うものも沢山ありました。

ただ、せっかくLAを一望できるロケーションにあるのだから
その辺をうまく借景したらもっと良くなるのにと思いましたが、
その辺は日本人的なのかもしれません。

コレクションというよりは庭園と展望を楽しみに行くのなら
行く価値が高いと思います。

P.S.
なぜかまとまりの悪い文章になりました。
たぶんいいたいこととコンテンツが多すぎて
それを手短にすべて網羅したいという気持ちがあったのが
原因だと思います。

P.S.2
無料ということをまったく考えずにいろいろ書きましたが、
無料ということを考えると素晴らしいと思います。
無料で1日楽しめるのは太っ腹です。

P.S.3
今日は小さい子供たちから人気でした。
帰りに会った乳母車の赤ちゃんには人気なかったですけど。
そういや閉館1時間前でも沢山入場してくる人がいたけど
もう楽しむ場所が決まっているんでしょうね。

色と感情

そういえば、先週か先々週の英語の授業で
知っていたけどあらためて知ったことがあります。

それは色にはそれが持つ感情があるということ。
まぁ、それは民族や国によって持つイメージは違うのですが、
今回はアメリカにいるということで
アメリカの持っている色に対するイメージを知ったのかなと思います。

それでは、ご紹介。
白:正義?
黒:邪悪・死?
黄:臆病
青:悲しい
赤:愛
とこんな感じらしい。

あー、なるほど、人種差別起こるわけだ。

P.S.
ちなみに、日焼けをしていない僕の足は
白人の白い肌と大して色が変わらない。
要は、白人って言うのは紫外線に対して鈍感なだけなんだろうなって思った。

プチ浦島太郎

先週はずいぶんとブログの更新をサボっていました。
書く内容はますます増える一方で、
さてどうしたものかと考えています。

で、復帰一号?として、書くのは
浦島太郎現象になっているということです。

実はこの前の週末に
今までお世話になっていた日本の先生の
お祝いパーティーがありました。
というのを、昨日ネットを通じて知りました。

まったく予想もしていなかったことだったので、
これには本当に驚きました。

何のお祝いかというと
准教授から教授への昇進と
名誉ある賞の受賞についての
お祝いです。

もっぱらの予想では
すごく優秀な先生なので受賞は驚かないのですが、
准教授から教授というのに驚きました。

日本は年功序列が根強くあるはずなのに
競合がそれなりにいるなか
出し抜いて教授への昇進です。
それも、一番そういう日本文化の強そうな大学においてです。

これを聞いて、日本も少しずつではあっても
確実に変わってきているのかなと思いました。

本当にお世話になった先生だったので
行きたかったです。

なんにせよ、うれしい知らせをいただいて
僕ももっと頑張ろうという気持ちになれました。
本当におめでとうございます。

そして、いつもありがとうございます。

2009年5月18日月曜日

ブログが広まっていく。

今日はSCSNに行ってきた。
前回に続き2回目の参加である。
http://ucla-2009.blogspot.com/2009/03/scsn.html

今日の話も面白かったのでそのうちお話しようと思いますが、
今日はすごくうれしいことがあった。

コメントは少ないけれど
メールなどで意外と楽しみにしているというコメントを
それなりにいただくこのブログが
ついに面識のない人にまで読んでもらっていたのです。

その人とはSCSNにきていたSさんで
かれこれこっちに10年くらいすんでいるという。

そんな人から
「ブログ読んでるよ、面白いね。
 何より読んでいると懐かしくなる。」
といってもらえたのだから、
価値を提供できていることがわかって、うれしかったです。

僕個人的には
・嫁のためとか
・日本の間違った知識を直したいとか
・誰からも評価されなくてもやり続ける力の養成とか
いろいろとやっている理由をつけていたのですが、
こういうフィードバックはうれしいですね。

特に知らない人からそういうことを言われると、
ついにこのブログも広まり始めているんだなって気分になります。
そして、すごくうれしいです。

読んでいるけどコメントは・・・って考えているそこのあなた。
コメント書いてくださいね!!

P.S.
そして、知らない人からのコメントも今日つきました。
うれしいことです。

韓国風焼肉

昨日は韓国人の友達と韓国焼肉の食べ放題に行ってきた。

焼肉というから日本の焼肉みたいな感じだと思っていたら
真ん中に味噌汁を置く穴があってその周りに鉄板がある。
という構造で、その味噌汁を置く穴の下には墨が敷き詰めてある。
鉄板には穴が開いていてその穴から油が下に逃げる。
油は水の上に落ちて、鉄板の下を汚さないと・・・。

なかなか考えてあるなぁと思った。

そして、肉が来ると友達は肉を鉄板の上に置きだした。
いや、置くというよりは放り投げだした。
具体的には、トングを使って鉄板に一枚ずつ肉を置くのかと思ったら
トングを使って少し凍った肉を5・6枚つかんで投げ込むように大量においていた。

すごい。

思わず圧倒された。
日本の焼肉は一枚一枚丁寧に焼くけど、
韓国焼肉はそんなお上品に食べるんじゃないんだぁと。

肉食べ放題
サラダ食べ放題
味噌汁食べ放題
キムチ5皿
蒸し卵
ライスケーキ
冷麺
で、合計15ドル。

友達は同い年なのだけど、
若者らしく食べ放題は元を取るという精神があったので
僕も同年代に対して大食いな力を発揮して手伝った。

二人でお肉を6皿、野菜を5杯、味噌汁を3回足してもらった。
これで、15ドルは安いんでない??

ちなみに、韓国で食べるのと味も変わらないし値段も安いらしい。
確かにアメリカは肉が沢山あるし
味付けさえしっかりしてしまえば問題ないもんなぁ。

日本食はそれに比べてひどい状態だから
素直にすごいなぁと思った。

P.S.
ちなみに日本の牛肉文化は明治以降に起こったけど
韓国はそれまでにすでにあったらしい。

専門家は無責任

お金を日本円から米ドルに換金するタイミングを
今回はミスってしまった。

僕の中で1ドル95円になったら換金するという指針があったのだけど、
先々週の大方の経済専門家の予想に流されて97円くらいで換金してしまった。

ことの経緯はこうだ、
一時期1ドル100円程度になっていた円相場が
いったん1ドル96円まで円高が進んだ後
再び1ドル99円にまで円安になった。

僕はこの時点でアメリカは大量にドルを刷っているのだから
インフレが進んで、円高になるはずだろうと思っていたので、
この円相場の動きが理解できなかった。

そして、この時点でネットにおける専門家たちの予想は100円を超えて
105円までいくかのうせも十分にあると。
何がそう思わせるのだろうと思った。
これは、日本の専門家だけでなく欧米系の専門家たちもそう予想したと書いてあった。

そんな中、円は1ドル98円にまで下がった。
しかし、専門家たちはまだ戻すという判断を下していた。

こうも専門家たちの判断がぶれないので
そろそろ換金のタイミングかなと思って
1ドル97円で換金をした。

でも、その大方の専門家たちの予想は見事にはずれ
1ドル95円くらいで推移し、今日に至っては1ドル94円台になっている。

しかも、こうなった後の、大方の専門家たちの意見は
そうなる可能性は十分あった。
これから1ドル92円台にまでいくんじゃないかと。

なんじゃそりゃ。
この人たちは意見に責任は持たないのかと・・・。

確か、その前も似たようなことがあった。
そのときは流されずに自分の考えを貫いた結果
しっかり良いレートで換金できた。

そんなにたいした額ではないけど、
どんだけ、信用しないほうがいいかということを身をもって体感した。

所詮、専門家たちはそれっぽい記事を書いておけばいい
っていう考えでしかないのだろう。
なにせ、可能性はどういう展開になったところで十分あるのだから
いつでもそういう可能性は十分あったといえるのだから。

これは面白い経験になった。
情報をしっかり吟味して、自分の論理性を重要視するほうが
ニュースを流している人の判断を鵜呑みにするより
よっぽど精度よく予想できそうだ。

まぁ、来月に予定しているイエローストーンまでの航空費の支払いなどで
出費が重なって銀行残高がマイナスになっていたみたいだったので
それはそれで早い目に返せたから良かったのだと思う。

2009年5月17日日曜日

祝!申請採択

うちの教授は今年20個くらいプロポーザルを書いたらしいが、
最近その結果がでてきている。

状況は、非常に苦しい。
そんな20個のうち採用されたのは0個。
どの申請の返事を見ても、くだらないとか価値がないとか
そういう返事ではなく、後一歩のところでどれもリジェクトされているという。

ということで、
来クォーターから研究資金がショートするかも知れないという事態に。
もちろん、大学院生にもお金のサポートができない。
そうなると、大学院生たちはインターンのポジションを探してみようとしたり
しばらく帰国しようとしてみたり、
僕は研究続けれるのかと思ってみたり。
研究グループがばらばらになる危機に!

そんな矢先、
ついに昨日申請が一本通った!

そんな大きな額ではないけど
これはかなりうれしい知らせだ。

ということで、昨日のミーティングで
いい知らせがあるということでみんなに話していた。
ほんとよかったねーっと僕ともう一人のポスドクが伝えた。

そして、その夜、
みんなでバーに行ってビールを飲んだ。
次々に教授の知り合いが集まってきた。
(といっても、お祝いに来たというわけではなさそうだった。)

少し安心することができた一日でした。
たぶん教授はもっとうれしかったでしょう。

P.S.
そういえば日本のボスも駆け出しのときは
予算を手に入れるのにすごく苦労して
小額の予算があたったときすごくうれしかったといっていたのを思い出した。
きっと、多くの人が通る道なんだろうなと思う。

今どこで何をしているんだろう。

今日、道を歩いていて
ふと昔のことを思い出した。

それは、中学高校とずーっと同じクラスだったIくんのことだ。
Iくんはなかなかやんちゃなところもあったけど、
まじめでまっすぐでいろんなことに熱心に取り組んでいた。
そういえば、大学も同じ大学だった。
ひょんなところで、親戚のおじさんとIくんのお母さんは同じ職場で働いていた。

そんなIくんは今音信不通になっている。

最後にあったのは
僕が大学4年で上京すると決まったときのこと。
IくんとOくんが僕の状況を祝って
大きな布に飛翔!とか書いて、門出を祝ってくれた。
そのときに、プレゼントとしてバスローブをもらったことも覚えている。

そんなIくんに僕は中学のころからずーっと年賀状を出していたが
大学院に行って2年目くらいから
返事が来なくなった。

一番、音信普通ということから
遠いと思っていたIくん。
今はどこで何をしているんだろう。

で、しばらく昔に浸っていた。

そして、部屋に帰ってきて、
こういうときはGoogleで調べればいいんだ!
とわからないことがあればとるべき
当たり前の手段を思いついた。

でも、その当たり前は役に立たなかった。
Googleのどこにも、Iくんの名前はなかった。

ますます、どうしているんだろう
という気持ちが大きくなった。
元気でいてくれたらいいなぁ。

日本人は研究向きではない?

そういえば、日本の研究室のボスの書いている文章を読んでいたら、
こういう文章が書いてあった。

大時化の海上で、イギリス人、フランス人、イタリア人と日本人を乗せた船が難破して沈没寸前になった。助かる望みはただ一つ、荒波の海に飛び込んで彼方に見える島まで泳ぐことだ。しかし、逆巻く波のすごさにすくみあがって誰も飛び込まない。そこで老練な船長がイギリス人に言うには「女王陛下のご命令です。飛び込みなさい!」イギリス人は飛び込んだ。フランス人には「貴国の大統領が、海難の時は絶対に海に飛び込んではいけないという声明を発表したとの連絡がありました」フランス人も飛び込んだ。イタリア人には「噂によるとあの島にはとびきりの美人が一人で住んでいるらしいです」もちろんイタリア人は飛び込んだ。残った日本人には「ホラ、みんな飛び込んでいますよ!」

まとめてみると、
イギリス人: 女王陛下の命令
フランス人: 大統領の声明の反対
イタリア人: とびきりの美人
日本人:   みんながやっている
ということが行動のきっかけになっている。

つまり、イギリス人は権威や地位に弱く、
フランス人は権威や地位に反対し、
イタリア人は美しいものに目がなく、
日本人は周りの行動に合わせる。

まぁ、国民性をよく反映した文章だなと思ったけど
これをほかの事に当てはめてみると
なかなか面白い。

例えば、それぞれの国の人に何が食べたいかと聞くと
イギリス人は老舗
フランス人は穴場の知る人ぞ知る店
イタリア人は雰囲気のある店
日本人はみんなが行きたい店
となるんでしょうね。

例えば、それぞれの国の人をコンサートに連れて行くとすると
イギリス人は有名な楽団のオーケストラ
フランス人はこれから有名になろうとしている新進気鋭のミュージシャン
イタリア人はきれいなおねいちゃんの多いナイトクラブ
日本人はみんなのいくところ
となるんでしょうね。

例えば、それぞれの国の研究者に
イギリス人は女王陛下が喜ぶ研究
フランス人は大きな流れからずれた研究
イタリア人は美しいと思う研究、もしくはもてそうな研究
日本人は大きな流れに乗った研究
ってなるんでしょうね。

とかいていて、日本人は自分がやりたいからといって行動することは
ほとんどないのかなぁと思いました。
特に研究という点では大きなハンデだなと。
だって、周りがやっていることにはもう新規性ないんですから。

P.S.
もちろん、みんながみんな当てはまるわけではないですがね。

2009年5月14日木曜日

ボランティア

海外の学生は、ボランティア精神旺盛なのに
日本の学生は・・・
ということをいう人がいる。

そういう人たちはどうして海外の学生がボランティアをするのか
わかっていないんだと思う。

もちろん、純粋にボランティア精神にあふれる人もいるだろう。

でも、その多くは違う。
学生のボランティアは、
大学に進学する際の点数になるためそれをすることになる。
これじゃ、まったくボランティアではない。
ただ、そういう点数のための奉仕活動にはなるということだ。

アメリカでは無駄なことには、
力を投入しない。
寄付をしたりボランティアをしたりするのも何かの見返りを期待しているのである。

ということを考えて物事を見てみると、
アメリカの行動の裏側を多少はかいまみれるんだと思う。

何の見返りも求めずという意味では
日本人のほうがよっぽどボランティア精神旺盛だと思う。

上にあわせるか。下にあわせるか。

アメリカの教育と日本の教育を考えたとき、
そこには大きな違いがあると思う。
実際に体験したわけではないけど
たぶんこんな感じだと思う。

日本はお金を払っているんだからサービスするのが当然というスタンスだろう。

目的もなく大学に来て、
お金払ってるんだから教えろよ。
わかりにくいからもっとわかりやすくしろよ。
わからないからレベル落とせよ。
・・・

学生がこんなのでは
大学にいってもなにも得るものがないだろう。

わかりにくいからもっと真剣に勉強しよう。
というのが、あるべき姿ではないだろうか。
しかもお金を払っているというのも親のお金であることが多い。

たぶん、日本はみんな平等という考えと
お客様は神様という行き過ぎた考えがあるから、
サービスして当然となる。

みんな平等が加熱しすぎた考えが、
サービスの質を底辺にあわせざるを得ず、
能力のあるものは能力のないものにあわせなければならないとか、
出るくいは打つ的な考えだろう。

一方、アメリカはやりたいようにすればいいよ、
ただし、結果を出せなかったら必要ないよというスタンスだろう。

授業についていけなかったら置いていかれるし、
単位を取れなくなってしまう。
なにより、高いお金をどぶに捨てることになる。

ということで、積極的に勉強しないわけにはいかなくなる。
そして、いち早く単位をとって
高い授業料を払わなくてすむようにするわけだ。

それぞれの人のやり方は尊重するが、
能力のあるものだけを評価するアメリカ的な考えだと、
平等という考えが生まれるわけもなく、
能力のある人はどんどん高みに上っていけることになる。
そして、能力のないものは置き去りにされる。

世の中から優秀な人材が集まってくるアメリカだからこそ
なせる業かもしれないが、
日本でも人材は豊富にいると思うので、
十分できることだと思う。

いろんな批判をする人たちがいるでしょうがね。

P.S.
そういえば、アメリカには
たぶんモンスターピアレントはいないんだろうな。

日本では大学でもそういうやからがいて、
学生のテリトリーに親が足を突っ込んでくる。
そして、学生が単位を落とそうものなら、
親が何とか単位出せないですかというらしい。
何を学ばせたいんだ、こういう親はっておもう。

このwindowsは偽造の疑いがあります。


最近、今のパソコンのwindowsが僕に対して
偽造されたwindowsじゃないのか?って
問いかけてくることが多くなった。

先週くらいにもあったのだけど、
2~3日したら正規品であると認められました
とのこと。

一時は、Dellのwindowsって偽造品なのと
疑ってしまいましたが、
そうでもなかったのかと胸をなでおろしたものです。

が、昨日再び偽造疑惑が浮上しました。
でも、前も2~3日ほったらかしにしていたら
勝手に正規品と認められたので
またほったらかしにしておこうと思いました。

そしたら、今朝。
偽造品ですという表示とともに
ログインできなくなりました。

何度かログインを試みるも
すべてはじかれる。
ネットを使って原因を調べてくださいとのことなので
トライするも結局何の情報も得られない。

うーん、困ったということで
困ったときの再起動をしました。
そしたら、何とかログインできました。

で、ログインして使っていると再び偽造疑惑が。

ということで、プロダクトキーを再び入力してみたら
使えるようになりました。

さて、次はいつ偽造疑惑をかけられるのでしょう。
このPC壊れたらちょっとつらいですね。
このまま帰国までは正規品であってほしいです。

P.S.
Vistaを使っていて、勝手に再起動や偽造品扱いされています。
ちょっともうwindowsいいかなって思い始めてしまいました。
最近macも一般向けになってきているみたいだからソフト面でも困らないだろうし。

2009年5月11日月曜日

灯台下暗し:2つ星レストラン

昨日の散歩でいろいろな発見をしました。
この写真もそのひとつ。

自炊派の僕なのですが、
いつも歩いている通学路に
アメリカでトップレベルのレストランがあることに
昨日気づきました。

しかも、歩いて数分のごくごくご近所さんにです。

MichelinのLA版が始まったのは昨年のことですが、
昨年、今年と2年連続で載っているときています。
さらに、Zagat Serveyという読者投票によって選ばれたいいレストランを
本にまとめたグルメガイドにも載っているときています。

これは期待できるということで、
帰ってお店をGoogleで検索してみました。
が、どうも引っかかりません。
同じ名前のレストランがNYにもあって、
そのレストランもMichelinに載っているようです。

おそらく同じお店なので、LA最高の2つ星は硬いと思っています。

結構期待しているので、
帰るまでに一度訪れてみたいです。

P.S.
ちなみにオーストラリア料理屋さんで
内装が素晴らしいようです。(NY)

雨も降ってないのに雨漏り


今日、部屋の中で半そで短パンでいたら
ちょっと寒かったので、
エアコンをつけてみました。

まぁ、寒いんなら服を着替えたらいいという意見は最もなのですが、
どうも怠け者な性分でして、
スイッチ一つ押すだけのエアコンに流れてしまいました。
すると、いつもどおりうるさい音を立てながら動き出したと思ったら、
ぽた、ぽた
どこからともなく水滴が落ちる音が。
よく見てみるとエアコンのダクトから水が落ちているではないですか!?
あー、故障かって思ったのですが、
ちょっと使っていたらとまるだろうと判断して少し様子を見ると
ぼたぼたぼたぼた。
雨が激しくなりました。
これは雨漏りと一緒だということで
写真のようにコップやお皿を並べてみたのですが、
雨の勢いは激しくなる一方で
このまましていてもコップやお皿が足りなくなりました。
こん、ぴん、ぱん、ぼと。
聞いていて、もう少しリズムよくできないかなって思いました。
で、待っていても収まる様子もないということで
おとなしくエアコンを止め、服を着替えました。
そして、マネージャーのところに言ってみると
マネージャーは故障リストに書いておいてというだけでした。
天井は水のしみがついているし、
雨漏りはやまないしで
これはでるとき修理費出せとかいわれるんだろうかって思うくらいです。
でも、払いません。
なにせ、僕の過失ではないですからね。
ちなみに、明日の朝一で修理に来てくれるみたいです。
でも、僕も明日の朝は早いので、立会いは難しいなぁ。
早く局所的豪雨がやんでくれることを
祈っています。
P.S.
ラグジュアリーアパートメントなんてこんなもんです。

悪循環

今UCLAでお世話になっている研究室は材料系で
CVDがとっても重要な装置になります。
新しい材料を成膜するときには必ずCVDを使います。

といっても、僕はCVDを使っていないのですが、
今D3の学生が自力で作製したCVDが壊れたところから
事件は起こりました。

このCVDはその学生が管理していたのですが、
周囲の研究室の学生も使いたいということで
学科で一番ペーペーであることもあって、
うちの教授は好意でCVDを一般に公開していました。
そんなCVDが壊れたので、
教授は周りの研究室に修理代を少し出してほしいということをお願いしたのですが、
どの研究室からも返事がありません。

そこでさすがにうちの教授も怒った。

誰かが修理費を出すまで
修理はしないと言い出したのです。

どうやら、その背景には今うちの研究室の台所事情が
火の車で修理費にお金を使いたくないというのがあるようです。

台所事情が苦しい理由は
今研究が悪循環に入っているからです。
世界でまだ開発していない装置を開発して
一気に飛躍しようというのが目的だったのですが、
その装置を作れるといった会社が約束の期限を過ぎて
しかも2年たってもその装置を使える状態にしてくれないのです。
(実はLAで納期が遅れることなんてしょっちゅうのようです。)

その装置にかなりの金額を投入していた教授としては
装置が動かなければ、結果もでないということになります。
これはありえない状況ということで
どうにか会社の人をプッシュしているのですが、
どうもうまくいかないという状況が続いているようです。

2年も期限が遅れると余裕を持って研究計画を立てていても
さすがに出るはずの結果がないために
次の研究予算を取るのが難しくなるわけです。

そして、次はうちの研究室の生命線であるCVDが壊れた。
台所事情も苦しい。
助けてあげた人たちが誰も援助してくれない。

うーん、この状況はすごく苦しいですね。

そんなこんなで、今週末はD3の学生と教授が週末出勤で
ガラクタから新しいCVDを周りに秘密で立ち上げています。
もう、見た目はかまっていられないということなんでしょう。
優秀で他の研究室の学生からも良い評判しか聞かない教授なので
この困難を何とか乗り切ってほしいと思います。

できることがあれば、応援しようとは思います。

P.S.
という中、加熱ホルダを壊してしまったようです。
別に普通の使い方をしていたのに、急に電流が流れなくなりました。
うーん、困った。

2009年5月10日日曜日

この木なんの木


今日は買い物に行くついでに、
花を見ながら散歩をしていたのだけど、
散歩中にふと目を上げてみると
宙をふわふわ舞うものがあった。

何かなーと思ってみたけど
よくわからない。
ただ、ひとつではなくふたつみっつ。
無数にあたりを舞っている。

白くて綿のようなもので
風に乗って気持ちよさそうに漂っている。

一瞬すごく幻想的な気分になった。

その綿のようなものが来る方向に
目をやってみるがどこから来ているのかわからない。
誰かが部屋の窓から綿をちぎってまいているのかなぁと思ったけど
そんな人もいないし、そんな人工的な感じもしない。

で、その辺を行ったりきたりして
どこから来ているんだろうって探していると
ついに見つけました。

木になる身が割れていたのですが、
そこから綿のようなものが見えています。
その綿のようなものが風に乗ってひとつ、またひとつと
宙を舞っているのでした。

綿花からしか綿は取れないと思っていましたが、
こういうものからも取れるんでしょうね。

P.S.
その木の根元を見てみるととげとげのようなものが無数にありました。
この木がなんの木なのか気になりました。
僕の中では、この木なんの木2号ということにしておきます。

LAは花がいっぱいあります。


今日、買い物に行ってきたんだけど、
その道すがら歩いているといろんな植物に出会うことができた。

LAには桜はないけど
いろんなきれいな花がある。
そんな中にサイズといい花の散り方といい
桜に似た紫色の花があった。

ただ、花びらが大きいので
風に乗って花びらが舞うということはないのだけど、
きれいに咲いていた。

落ちた花びらは芝生の上にまばらに敷き詰められて
濃い緑と淡い紫の絶妙なコントラストがきれいだった。

あざやかな色がきれいな花。
良いにおいが染み渡る花。
形がかわいい花。

LAにはそんな花が沢山ある。
そんな花に出会っては僕は胸を躍らせている。
LAは空気が汚いらしいけど
そういう花があるから救いだと思う。

と、楽しい散歩をしながら一人考えていた。

日本のバイヤーさんが行くような店

研究室に実験をしに来たら
ほぼ僕しか使っていない実験装置を
週末に使っている人がいた。

どうせ2時間しかかからないと思うから、
ブログの更新を今のうちにしておくことにした。

今日はアメリカにくるバイヤーさんも商品探しに行くという
ROSSという安売りの店にいってきた。
というのも、グランドティトンにいくに当たり冬物の服を準備したほうがいいとのことで
そういう店があることを教えてもらったからだ。

でいってみて、本当にいろいろ安いことにびっくりした。
服とかをとってみてもユニクロよりも安いし
普通のものがある。

といっても、冬物の服がなかったので買わなかったけど。
スポーツウェアとかがだいたい10ドル前後であった。
うーん、買っておいてもいいなぁ。

で、その中でも気になっているのは次のもの。
・スーツケース(ソフト) 巨大なサイズで50ドル
・財布 多少ブランド物 15ドルくらい
・旅行の携行品セット(つめきりとか) 7ドル
・1 million candela 車用懐中電灯(車のライターで充電?) 10ドル
・アウトドア用水の中でも使える大きな懐中電灯 15ドル
・レーザーの水平器 10ドル以下

いろんなものがあるなぁと。
アウトドア用の懐中電灯はあったら便利だから本当に買うかな。
他のものは面白いなぁ、安いなぁっていうだけだから
買うかどうかわからない。

けど、ほんとに安かったのでびっくりした。

P.S.
お目当ての冬ものはどうしようか悩み中。
日本にいらないのあるからそれを使うのがベストかな。

2009年5月9日土曜日

ようやく、カリフォルニアです。


この写真何かわかる人いますか?
そうです、空の写真です。

実はこの前の週末からようやく僕がLAに来るまで想像していた
カリフォルニアの気候を体感できるようになりました。
毎日こんな空なんです。
ほんとに。

週末にはサンタモニカのビーチに行ったりしましたし、
そろそろ半そでで十分でしょうという気温だし、
もう夏です!

からっとしてて日差しが強い。

日焼けと水分不足は注意しないとなと思います。
それと、建物の中は冷房がかなり効き過ぎなので
風邪を引かないようにしないと。

はい。

ちなみに昨日からサンタバーバラで山火事のようです。
http://www.cnn.com/2009/US/weather/05/09/california.wildfires/index.html#cnnSTCText

1万人以上の人が避難したらしいです。
日本のニュースではカリフォルニアで山火事という書き方で
近くで山火事があるのかと思いましたが、
まったく気にならないくらい距離がありますから
みんなの話題にも上がらない。

日本と同じ距離感ではアメリカでは生きていけないんでしょうね。

シリコンバレーに行きます!

研究を土日もしっかりすれば
比較的余裕が出てくることがわかったので、
グランドティトンに加えて、シリコンバレーも見てくることにした。

といっても、まだこっちは計画段階で
どうすればシリコンバレーの会社の見学ができるかと考えて
周りにいる人に相談してみた。
直接会社にメールしてみたらという意見を聞いたけど
やっぱり間に誰か入ってもらえればかなりその確率は上がるはずだと思っていた。

そして、そういえば会社の人の知り合いが多いといっていたGさんに相談すれば
間違いないんじゃないかと思って相談してみたら、
mixiのあるコミュニティを紹介してくれた。
ここにはシリコンバレーで働いている人が沢山いるからメールしてみたらとのこと。

そこで、僕は素直にそのコミュニティに入り
トピックを立ててみた。

そうすると、その日のうちに反応があった。
メッセージと書き込みの2種類の反応だ。
そしてその中のひとつは会社と人をつなぐ仕事をしている人で
すごく力になってくれそうだ。

このままだと、
シリコンバレーで活躍している会社をいろいろ見て回れそうな感じがする。
今からすっごく楽しみだ。

そして、最近友達とメールをしていて
そういえば知り合いがStanfordにいることに気がついた。

以前、UCLAに来た人から
ぜひStanfordには行っておいた方がいいよ
とアドバイスを受けていたので、
知り合いと連絡を取ってStanfordも回ってこようと思う。

ということで、もしシリコンバレーの企業に聞きたいことがあれば
メールかメッセージ、書き込みでお知らせください。
僕も聞きたいことであれば、遠慮なく突撃インタビューしてきます。

これで、かなりこの留学を満喫できる感じがする。
他にやり残しはないかなぁ?
もし、これやり残してるんじゃないのっていうのがあれば
教えてくださいね。

グランドティトンに行きます!

日本にいるときから、この人すごいなーと思っていた人がいる。
それは浜野安宏さん。
(浜野さんのブログ:http://www.teamhamano.com/icssy/)

知っている人は知っていると思うけど、
日本の流行の火付け役として流行の火種を作ったり、、
渋谷のQフロントを廃ビルから今の形に変えたり
青山の開発をいち早く手がけたり、
東急ハンズを企画したりと
時代を常にリードしてきた人だ。

その浜野さんが若かりしころ感銘を受けたというのが
グランドティトン。
そこで、トラウトがテールウォークするのを見て
人生観が一気に変わったという。

だから、僕もグランドティトンにいきたいと思っていた。

そして、そのチャンスがやってきた。
LAに来てから知り合ったKさんが
この6月にイエローストーン、グランドティトンのツアーをしようというのだ。
LAにかれこれ10年以上すんでいてアメリカの自然と常に向き合ってきたKさんが
この時期のイエローストーンはアメリカで一番好きだという。

ただ、このツアーに行くには1週間のOFFが必要だった。

悩んだ。

なにせ、僕はLAに研究をしにきた。
今のままでも研究が形になるかわからないのに
さらに1週間OFFをとると研究が形にならない可能性が上がる。
それに、うちの教授に言って許可をもらわないと。

それとは反して、
この機会を逃したらグランドティトンには一生これないかもしれない。
しかも、Kさんのツアーは格安だ。
日本の旅行会社の1/3だったりする。
基本商売でやっていないし、野宿とかするから安い。

しかも、そんなKさんが一番いいという時期にいける。

そして、どっちをとるか考えて、
結果
どっちもとることにした。

土日もそれなりに働けば研究も形になりそうということがわかった。
というか、余裕が出てきた。
土日も働くってすごい威力だなぁと再確認。

ということで、6月中旬、グランドティトンで感動してきます。
さーて、いまからめっちゃ楽しみだー。

2009年5月8日金曜日

9.11って

そういえば、
以前面白いことを聞いた。

「NYにすんでいる人は9.11のことを30%くらいしか信じていない。」
らしいです。

これを聞いてどう捕らえるかは個人の自由です。

アメリカのポスト

そういえばLAにきて当初、
ポストはどこだどこだと探していたことがありました。

ポストといえばもう頭には
日本で慣れ親しんだ赤いやつしか思っていなくって、
郵便局にいけば出すところがあるから
まぁ、ポストがなくてもいいかって思っていました。

でも、しばらくすると、
新聞とかフリーペーパーを置いている入れ物に混じって
ポストがあったのです。

しかも色は青色。
赤と間逆な感じです。

形も日本のとは似ても似つかないし、
道路の車道側にあるしで、
違うことばかりでした。

ポストで困ったら、ここで読んだことを思い出してくださいね。

アメリカ版空気読めよ

アメリカ人は空気読めよって言うのがないのかなぁと思っていたら
やっぱりあるみたいですねー。

今、英語の発音のクラスに出席しているんですが、
これがなかなか役に立ちます。

今日はそんな中で音節とアクセントの宿題の発表があったのですが、
学生が出した単語に、
その言葉を直接言うと下品だから別のあいまい表現でごまかす
というニュアンスの単語がありました。

そこから発展して、先生がトイレという言葉について解説し始めました。
英語の授業でトイレというとrestroom(これは公共の場所だけ)というと習いましたが、
これはアメリカ人の表現で、
イギリス人はtoiletと直接表現するらしいです。

アメリカ人はtoiletというと恥ずかしいし
おそらく便器をイメージしてしまうから
そういう表現は使わないようになったらしいです。

他にも、bathroom,men's (room), ladies' (room), water closet (W.C.), powder roomというような
アメリカ表現があるそうです。
イギリス人はtoiletのほかにはlavaratry(シンクという意味)を使うらしく、
かなり直接的に表現します。

イギリス英語を聞くとアメリカ人は「うわー」っていやな気分になるらしく
これは空気読めよってなるみたいです。

おもしろいですねー。
空気読めなんて日本だけだと思っていました。

他にも、おしりのことをケツといわずにやわらかく言ったりと
いろいろあるらしいです。
もちろん、イギリスは直接ざくっと言うらしいです。
きっと、アメリカ人からしたらイギリス人は
どぎついオバタリアンみたいな存在なんでしょうね。

2009年5月4日月曜日

結婚祝いを買いにサンタモニカへ


今日はいい天気だったのと、
友達の結婚祝いのプレゼントを探しに
サンタモニカに行ってきました。

本来ならぜひ出席したい友達の結婚式だったのですが、
残念ながらLAにいて一時帰国というわけにも行かないので
プレゼントというところに落ち着いたわけです。

さて、サンタモニカに行ったときはデジカメにメモリーカードを入れ忘れて
写真を撮れなかったので、ちょろちょろと写真を撮ってきました。
前回いったときに比べ、今日は汗ばむ陽気で
ビーチでは海水浴している人や波と戯れる人が沢山いました。

で、僕の目的の買い物はというと、
どこに何が売っているかとかまったく調べずにいったので
延々歩き回って結局何も買いませんでした。

やっぱり、結婚ということで
それなりに見栄えのするものをと思っているのですが、
ただ、予算は100ドル前後(1万円くらい)を目安にしています。
でも、なかなかいいものが思いつきませんね。

一応、べたにいくと写真たてですが写真たては誰かしらプレゼントするし
アメリカって感じがしないし割れたら最悪です。

そこで、フォーク、ナイフ、スプーンセットの見栄えするケースに入ったものとかをあげたら
アメリカっぽくていいかなと思っているのですが、
ネットで見てみると少なくても8人セットとかで
日本ではそんなに沢山使わないよーって感じでした。

さて、まだ2ヶ月くらいあるので
ゆっくり探すとしましょうか。

もし、何かいいもの知っている人がいたら教えてください。

P.S.
サンタモニカピアってサードプロムナードの延長にあったんですね。
帰ってきて地球の歩き方を読んで知りました。
ということで、もう一度サンタモニカに行かないといけなくなりました。

豚インフルエンザの対応:T大 vs.UC LA

豚インフルエンザの対応について
面白いなぁと思ったので記録しておきます。

たまたま僕は日本のT大からUCLAに
短期的に研究員という肩書きで来ているので
日本で回っているメールとLAで回っているメールの比較ができます。

すると、面白い結果がでました。
UCLAで全体に回ったメールでは、
豚インフルエンザに気をつけてね。
くらいのもので、追加情報は随時更新されるから、確認してねというもの。

一方T大はというと、
万が一のときは豚インフルエンザで完全休校もありうるので、
大学運営するに当たり必要最小限の人のリストを挙げてくれ。
というもの。

これだけ見ると、どっちが豚インフルエンザはやっているかというと
日本のような気がします。
でも、実際は皆さんご存知のとおりアメリカなんですね。
しかも、LAはメキシコに結構近いところにあるのにこんな感じなんです。
日本では考えられない対応ですね。

周りの人が日本人はメディアに過敏すぎで
アメリカ人はメディアに鈍感すぎるといっていたのですが、
確かにそうかもしれません。

なんだか僕の中のイメージが
日本⇒ヒステリックお母さん(悲観的)
アメリカ⇒アバウトお父さん(楽観的)
という感じになってしまいました。

日本人はすべてを鵜呑みにして、
それを過大に意識してしまうのかもしれません。
敏感すぎるのも困りものですよ。

ヘリコプターの着陸

先週末、学校から帰っていると
上空をヘリコプターが飛んでいた。
別にヘリコプターを見るのは珍しくないんですけど、
そのヘリコプターがどんどん高度を下げてきたのです。

えっ!?何かあったの??

と思いましたが、そのヘリコプターが向かった先は
UCLAのMedical Center。
そして、ヘリポートに着陸していました。

ヘリコプターは見たことも乗ったこともあるけど、
ヘリポートに着陸するのははじめて見ました。

特にすごいわけでもないのに
すごい!って少し胸が躍りました。
ちゃんとヘリポートを使っているっていうのが
日本じゃないなぁという感じがしたのかもしれません。

ところで、今の時期にヘリコプターで緊急的に病院に搬送されるなんて
豚インフルエンザの可能性をどうしても疑ってしまいます。
良くないですね。

2009年5月3日日曜日

犬が少なくても


飛行機が遅れて航空会社が用意してくれたホテルに泊まったときのことです。
ホテルの周りを散歩しているとゴミ箱のようなものが目に付きました。

あーゴミ箱かって思って軽く見たのですが
その上に何かついてあります。
どうもビニール袋のようで
立て看には犬の絵が描いてあります。

犬の糞を回収してゴミ箱に捨てろということのようです。

LAにきてあまり犬を連れて散歩する人を見かけませんが、
きちんとこういう対策をしているのはすごいなと思いました。
こうしておけば日本のように袋とスコップ、水を持ち歩かなくていいわけですから
飼い主も比較的気軽にペットの散歩に行けるというものです。

もちろん、これは一般的ではありません。
街中では一度も見かけたことがないからです。
ひょっとしたらここは散歩コースなのかもしれません。
でも、この辺は日本のほうが犬を飼っている率が高そうなので
見習ってもいいかもと思いました。

誰かに何かをやってもらうには
誰かがやろうという意思を持つだけでできる環境を用意するというのは
何をするにも大事なことですね。

P.S.
そういえば、道端に犬の糞が落ちているのを見かけませんね。
少ないからでしょうか。

25セント硬貨


アメリカに来てしばらくしたときに硬貨にいろんな種類があることに気がつきました。
どんな種類かといいますと、25セント硬貨の絵柄が違うんです。
日本の硬貨で言うところの十円玉の平等院鳳凰堂とかですね。

25セントというと普通は鳥が翼を広げた絵柄です。
でも、中にはアメリカ50州それぞれの特徴を示した絵が描いてあるものがあるのです。

例えば、
オハイオ州では宇宙飛行士とか、
NYは自由の女神とか、
ニューメキシコはマヤ文明?の絵とか
・・・
そうなんだって思ったり、そんな州あったんだって思ったり
結構気に入っています。

そこで、その硬貨を集め始めました。
今のところ29種類そろいました。
あと21種類なんですけど、
滞在中にそろえるのは難しいなって思っています。

こういうのは日本でもすればいいのにと思います。
ちょっとした地域振興になりますし、
それをきっかけに旅行客も増えるはずです。
お金バラまきよりも効果的に経済に刺激を与えられるような気がします。

その点、アメリカはうまいなーと思いました。

P.S.
ちなみに、この記事を書くにあたりwebで調べてしみました。
http://www.usmint.gov/mint_programs/50sq_program/index.cfm?action=designs_50sq
これって記念硬貨だったんですね。
そのわりに市場にかなり多く出回っている気がします。

あーぁ、これで集める楽しみがかなり減りました。
(といっても、あまり見ないようにしましたが)

P.S.2
あの州はどんな絵柄だろうって思いながら集めるのは結構楽しいです。
それが知りたいがために、買い物をしてお釣りがもらえそうなときは
現金で支払ったりしています。

ちなみに、まだカリフォルニア州にはお目にかかっていません。

動物も自由だ。


先日UCLAまでの通学路を歩いていたら
鳥に出会いました。

すずめくらいの小さな鳥で
その辺で遊んでいるのをみるととてもかわいらしい。
ここまでは普通なのですが、今回は違いました。

鳥が威嚇しているんです。
周りに同じ種類の鳥がいるのですが、どうやらその鳥たちに対してです。
縄張りなのか、いじめられていたのか、いじめているのかわかりませんが、
とにかく、切れています。
声もかなり相手をしりぞける様な声です。

相手は相手でかなり驚いた顔をしています。

なんでもない街中で喧嘩をしているんですよ。
昨日は昨日で、鳩が空中戦をしていました。
(見上げていたのは僕だけでした。)

僕は日本では犬と猫の喧嘩を小さいころに見て以来
動物の喧嘩はしばらく見ていませんでした。
(ケニアに行ったときにガゼル同士が角をぶつけていたり、
 チーターがガゼルを食っていたりというのは観ましたが。)

日本ではそういう場面には遭遇しませんね。
せいぜい烏が雀や鳩を蹴散らしている程度です。
そう考えると、動物もLAの方がいろんな束縛なしにすごしているのかなーと思いました。
つまり、より野生に近いのだと思います。

もちろんまったくの野生って感じはしませんが・・・。

2009年5月2日土曜日

Natureはやっぱり難しい。

博士課程の間にやった研究を最近ようやくまとめて
満を持してNatureに投稿しました。

今までいろんな人から早くNatureに出しなよといわれたり、
研究内容はNatureに何本も通している人からお墨付きをもらっていたし、
文章も日本人先生たちが素晴らしい文章というところまで出来上がっていたし、
研究の穴もほとんどなくすことができたりしたので、
結構いけるんじゃないかなと思っていました。

で、カバーレターもしっかり書いて投稿したところ、
Editor Reviewも通過しませんでした。
そこで、また推敲してScienceに投稿したのですが、
やっぱりEditor Reviewを通過しませんでした。

Editor Reviewがある意味一番大変なので
仕方ないっちゃ、仕方ないんですけど ・・・。
これはやっぱりアピールの仕方の問題なんだろうなって思いました。
世の中の流れとか世の中でどんなに役に立つとか
そういうところが大事なんだと思います。

売れてなんぼの商用誌ではそこが一番重要ですからね。

それから、今回の投稿は理論的説明もちょっと専門的過ぎるのかもしれません。
僕が読んでもわからない部分もあるので、Editorもそこでうーんって思うのかもしれません。
ただ、共同研究者はできるだけわかりやすく書いたっていうので、
そこは譲れないと思いますが。

でも、今のじゃだめだって言うことですね。
もともとは、だめでもともとNatureにトライしてみて、
その過程をしっかり勉強するというスタンスだったので。
今回はいい収穫だったと思います。

次Natureにチャレンジするときはその辺を加味したいと思います。

さて、このままNature姉妹しに突入するとします。
そっちは多少は専門的なのもOKでしょうから。

P.S.
今、ちょうどNatureとかScienceについて真剣に考えれているので
アドバイスとかあればお願いします。

キャンパスは撮影現場


今日、オフィスで研究データの整理をしてたら、
同室のスペイン人がコーヒーショップのところで
映画撮影しているよーって言ってました。

Xファイルのモルダーがコーヒーを飲む場所のテーブルを駆け抜けて
人を抑えるというシーンを撮っているとのこと。
そんな学生の日常生活の一部で撮影とはさすがLA、映画の都。

UCLAでは映画の撮影をするのはあるというのは良く聞いていたので
帰るまでにぜひ見ておこうと思って、
オフィスを離れてみてきました。

僕が行ったときには、次のアクションへ向けての準備ということで
そういう面白そうなことはしていませんでした。

でも、映画を撮るときの雰囲気とか、
どういう風にしているかとかいろいろ見れて面白かったです。
周りに好きなときにご飯や飲み物を置いてあって、
休憩テントがあって、
人の流れを整理する人やセキュリティの人がいたりと・・・。

面白いなぁと思いました。

ちなみに、何の撮影かというと
Californicationというテレビドラマだったようです。
http://www.tv.com/californication/show/68749/summary.html

たった1コマのために多くのものが必要なんだなと思いました。

日付変更線

日本の経済って、
アメリカの経済の動きにあわせているというか
アメリカの経済の動きを見て同じように動いています。

まぁ、日本はアメリカの支配下なので
仕方ない部分はあるのかもしれないですけど、
アメリカにいるとすごく変な感じがします。

何が変かというと、
日本はアメリカのほぼ1日先に時間をすごしているのに、
先にいるはずの日本がアメリカを見て
後を追いかけているんですね。

先にいるのに、後を追いかける。

地球が丸いとか日付変更線が太平洋にあるっていうことを考えれば
何もおかしくないんですけど、
僕の感覚的におかしいんです。

僕としては、ある意味アメリカが世界の先端を走っているというんだったら、
日付変更線を大西洋に配置してしまえばいいんじゃないかなと思うんですね。
ま、めちゃくちゃなこといっていますが、
結構そうなったらいいなって思います。

前にいる人は常に追いかけられるっていうのが
世の中の常ですから。

2009年5月1日金曜日

ラスベガスにお金は集まる


話はどんどん前後しますが、
嫁さんと一緒にラスベガスに飛行機でいってきました。
というのも、一時帰国までに車の免許を取れなかったので
車で移動するのをあきらめたからです。

LAを日が沈むくらいに飛び立ち、
飛んでいる間に日は完全に沈んでしまいました。
日が沈むと、あたりは真っ暗になりました。
何せ砂漠ですからね。

でも、ところどころに明かりが集まった場所がありました。
ぽつんぽつんと。
(写真参照)


きっと小さな町が点在しているんでしょうが、
昔はオアシスだったんだろうなと思いました。
そして、そろそろ到着だって言うころになると、
前方に巨大な光の塊が見えたのです。

はい、それがラスベガスです。

空から見ると、
お金が集まる場所っていう感じがして
すごく感動的でした。

車で行くのとはまた感じがまったく違うので
良かったら一度行かれることをお勧めします。